下北沢観劇日記

  • Smash In The ○×←(劇団:コスモル、作/演出:石橋和加子)
  • 3人いる!(劇団:東京デスロック、作/演出:多田淳之介)

前者はぼくが撮影を手伝ったりしている劇団の知人が出演しているというからという理由で観に行き、後者はこちらもその劇団の作/演出の人が観て大絶賛ということでオススメメールを貰ったので、ちょうどシモキタだし……ということで観に行った。前者は31歳の女の負け犬的な感情をどうにか救おうとしたような話だったけど、ちょっと、いやかなり救いようのない感じになっていた。面白いと思える視点もあるのかもしれないけど、それをひねり出すのは困難な作業である。
ということで『3人いる!』について考えてみたい。萩尾望都の『11人いる!』を元ネタにしたこの芝居はとてつもなく優れた反復とずれの会話劇である。起きたらすぐ書こうと思っていたけど、萩尾望都の『11人いる!』の細部を覚えていなかったので部屋を漁ってとりあえず元ネタの方を読み返してみた。読んだ。『3人いる!』を考える上で元ネタは忘れていい。内容的にはインスピレーションを受けて発想したほとんどオリジナル劇と考えていい。
場所は下北沢北口を出てすぐの小さなカフェバー。せいぜい20〜30人程度でいっぱいになるぐらいの広さである。客席に囲まれたちょっとした空間に机、それを囲んで3つの椅子が並んでいる。机には本やらパソコンやらが置いてある。中央の椅子に20代後半と思われる男が座っている。ヘッドホンをして音楽を聴いているようだ。やがて開演。男がおもむろにヘッドホンを外して、パソコンをいじり始め、パソコンにつないだスピーカーから音楽が流れ、やがて音楽を止めて、携帯電話をかける。相手は「ヤマちゃん」という友人のようだ。自分の部屋に呼んで飲もうという会話。しばらくして部屋に新たな男が入ってくる。一瞬、電話の相手ヤマちゃんかと思うところだが、どうやら様子が違う。お互いが不審そうに見つめ合い、どもりながら「何ですか?」「え?」「何にしてるんですか?」「は?」「ちょっと出て行ってもらえませんか?」みたいなやりとりがなされる。小さな舞台空間ゆえに客席にもその絶妙な空気が伝わってくる。
ユーモラスな会話がなされていく中で、どうやら2人は同じ人物(ホンダという男)だということが分かってくる。名前も同じ、記憶も同じ。ただし、演技者とその演技のあり方に見られるように、行動や性格は微妙にずれているということも窺い知れ、それがこの芝居の行方についての想像を膨らませる。一体どんなふうにずれていくんだろうか?
さて、そんなところにもうひとり人物が加わる。やはり同年代ぐらいの人物ではあるが、今度は女である。そして入って来るなり、何の前置きもなく2人の問答に加わる。ここは重要なポイントだった。それまでの流れで見ていると一瞬「あれっ?」と思うところだ。女の言ってる内容もやはり自分も同じ人物だという主張だからである。他の2人も同様に明らかに女性であることには何も触れず、3人がみんな「自分こそがホンダである」という証明に明け暮れ、細かいエピソードなどを繰り返し語り出す。
ふとしたきっかけで、ひとりがヤマちゃんに電話してみようということになる。ひとりが電話する。次のひとりが電話する。今度は、電話の途中でホンダがもうひとりのホンダに替わる。2人のホンダが入れ替わりにヤマちゃんと話しつつもらちがあかないので、やがて携帯電話を机の本の上に据えてハンドフリーで同時にみんなが話はじめると、そこでまたしても奇妙なずれが生じる。ホンダのひとりがおもむろにカップラーメンをつくりながらいつの間にかどうやら電話の相手だったヤマちゃんになってしまっているのだ。やがて電話は切られるが、ヤマちゃんになったホンダはそこにいないことになっていて、2人のホンダ(演技者は男と女)がまたしても果てしない議論を続け、しばらくしてヤマちゃんの家に行くという話になるのだった。
説明はこの辺にしておこう。ここまででだいたい芝居の半分ぐらいだと思うが、この後も反復とずれの会話劇が行われる。3人の人物が同じ人物であることを主張するだけの話ならば、不条理なコメディといった感じだろうけど、この芝居がすごいのは、3人の人物が1人から2人へ、やがて2人が1人へ、あるいは4人へ……と分身と収束を繰り返すからである。明確なきっかけもなく、切れ目のない会話の流れの中で、いつの間にかこの分身と収束が行われていて、常に観客は事後的にしかそれを把握できなくて、目の前で眺めている男2人と女1人による3人芝居がまったく異質なものとして体験されるようになる。創造。破壊。撹乱。洗脳。
ラストで3人が2人になり、1人になり、みんな出て行って誰もいなくなった空間に、録音されたと思われる3人の会話が聞こえてきて「幽霊」になったのはまるでベケット戯曲のようだった。表層的な会話とユーモア、そして目まぐるしい撹乱によって上演中には自覚できなかったが、これはベケットだ。ある種の演劇が様々な方法によって舞台空間を宇宙にしてみせるのと同様、『3人いる!』は、萩尾望都原作の『11人いる!』のように宇宙を舞台にせずとも、人物の存在、性、キャラクターを目まぐるしく転回させることによって宇宙的な広がりを現出させたのだった。こんな小さな場所での小さな芝居ではあるがその広がりは無限大。ここまで考えて分かった。まさにこれは『11人いる!』なのだ。それは『11人いる!』の最後の台詞によって代弁できる。すなわち「未来へ!」。この台詞に込められた精神は本作に通じていたと思えたのだった。