小島秀夫とアメリカ映画

PCエンジン『スナッチャー』をクリア。今更ながら演出のうまさというかプログラムのうまさに感嘆する。小島秀夫はすごいなぁ。飯野賢治がファウフェスで小島秀夫のことを変人だと言っていたけど、この人のゲームのすごさは「情熱」にあるのだと思う。それも異常なほどフェティッシュな情熱だ。『スナッチャー』はいろいろな(SF)映画を連想させるのだが、そういった映画への思いが色濃く反映されている。『ブレードランナー』や『ボディスナッチャー 恐怖の街』はもちろんのこと、ギリアン・シードやランダム・ハジルの人物造型にはアメリカ映画の影が透けて見える。そういう部分が、アメリカ映画によって少年期を満たしたぼくの琴線にぐっとくるわけだ。『ポリスノーツ』もその延長線上にある。そして、宇宙へと舞台を広げることによって、まさにアメリカが、アメリカ映画が宇宙の開拓に向けた情熱を反映する。こうした文脈があってこそ、『メタルギアソリッド』がアメリカでヒットする訳が理解できる。小島秀夫は(間接的な)アメリカへの情熱をその作品に反映してきたのだ。『メタルギアソリッド』のフェティッシュな情熱はあの画期的なゲームシステムに表れているが、それもそのはず、アメリカ映画の現代的な志向を反映している。アメリカ映画のテクノロジー志向である。多くの映画の物語が空疎になる一方、映画のテクノロジーは現実の軍事テクノロジーの発展と相俟って、急速に発展している。小島秀夫の『メタルギアソリッド』はそういう志向を無意識に反映したのか、以前の作品に見られた物語志向からテクノロジー志向へと移行したようにも見える。しかしながら、それは消極的なものではないだろう。『メタルギアソリッド』は当然、面白いゲームである。おそらく、小島秀夫の挑戦は、テクノロジー志向を受けた上で、あえてそのレールに乗りながらも、彼独自の情熱を注ぎ込んだものなのだ。そういう意味では、テクノロジーありきで商業主義的に作られたものではないのだ。それでも、個人的には『スナッチャー』や『ポリスノーツ』を愛するのだが、それはぼく自身の単なる懐古趣味でしかないのかもしれない。