ホモ映画とホモストリップの原点

気まぐれにはてなを開いたら、またまた約1年ぶりだった。
めまぐるしく身辺状況が変わっていくので、日記を書いておきたいなと思った。今度こそ続けばいいけど…

大事な話題をひとつ。先週、大阪に4日間ほど行った際に、梅田ローズ劇場の閉館を知った。ちょうど6月26日の最終日、大阪JAILの15周年イベントを取材するため堂山近辺にいたので、ほんの30分ほど立ち寄ってきた。上映していたのはアジアのホモ映画だった。

劇場に「ぴんくりんく」というチラシの号外があった。

一部、引用したい。

 そして1981年(昭和56年)、日活を退社された駒田氏は劇場運営に専念。その頃に“ホモ映画”という新しいジャンルに目をつける。新東宝が配給権を持っていた(のちに東映セントラルが権利を買収)邦画のゲイポルノ『薔薇と海と太陽』、『薔薇の星座』、『白い牡鹿たち』の3本を東梅田シネマにて上映。するとこれが大ヒット!
 薔薇族映画は当たると確信した駒田氏は、1983年(昭和58年)8月、今度はビル地下2階にゲイポルノ専門上映館・東梅田ローズ劇場をオープンさせる。これこそが駒田氏が日本映画史において、ホモ映画館のパイオニアになった瞬間である。
 ローズ劇場は連日長蛇の列、東宝東映など大手映画会社の幹部連中がこぞって視察に来たほど隆盛を極めた。しかしながら流行りすぎて上映作品がすぐに不足することに…。「ないなら作ればいいじゃないか!」ということで、駒田社長プロデュースの元でホモセクシャル映画の製作・配給も開始した。(1983年『巨根伝説 美しき謎』中村幻児監督が第1作目。2003年までに約90作品を配給。廣木隆一滝田洋二郎ら今では日本映画界を代表する監督たちの作品が並ぶ。)
 やがて1988年(昭和63年)、3階の東梅田シネマと地下2階の東梅田ローズ劇場を入れ替え、現在の3階・ローズ劇場という形になった。翌、平成元年の頃には、“東梅田ローズは日本一収益率の高い劇場”として全国的に有名になっていた。
 2003年11月、館名をより分かりやすくするために、それぞれ梅田日活劇場、梅田ローズ劇場と名称を変更して、現在に至る。

この劇場では、いつからか薔薇族ホモショーというストリップが、映画の合間にイベントとして行われてもいた。そして、そんな伝統が4、5年前に摘発。僕自身、摘発の何ヶ月か前に、偶然知人から誘われて、一度そのステージに出演したことがあった。自らステージの照明や舞台装置を操作する駒田社長と、連日通ってストリップを観に来るお客さんたちは熱かった。良い思い出だ。

今週末も大阪へ。味園ビルで初イベント。ディープ大阪文化万歳。