「中間層」のキツさ

国に対して住民登録の滞納罰金5000円を振込み、インターネットの月々の料金を振込み、有線放送の代金を振込み…本当に嫌な気分だ。駅前商店街を歩いていると、張りめぐらされた拡声器から長谷川京子が「確定申告の締め切りは…」と喧伝していて、バイト代の一部を源泉徴収で奪われた哀しみがよみがえってきた。家に帰ってポストから郵便物を取り出すと、医療治験ボランティアの案内とかクレジットカードの更新手続きの催促とかゴミにしかならないチラシとか入っていてさらに気を滅入らせる。
綿谷りさが表紙の『AERA』を読むと、いきなり冒頭から「派遣社員は奴隷なのか」「脱フリーターを支援」などと忌々しい記事が踊っていた。昨日ジブリ美術館に一緒に行った大学卒業間もない女の子も、就職とフリーターの狭間で苦しんでいたが、そこにつけ込んでくるのは派遣とか請負とかそんな業種の奴らなのだ。駅やコンビニやファースト・フード店やカフェに置かれたフリーペーパーのアルバイト紙に穿たれた「高収入」「楽しい現場」「空き時間に勉強もできます」「カップル、友達も歓迎」「服装自由」みたいな条件に騙され、家畜のような条件で働かされるという罠に他ならない。ぼく自身、そんな罠に何度はまってきたことか…。
最近多いと思うのは、派遣会社のアルバイトとして入り、ちょっと仕事ができると持ち上げられ、新手のアルバイトを統括する身分を与えられるのだが、実は責任が重くなっただけでほとんど給料は変わらないという家畜システムである。その人自身の責任感につけ込んで、餌として軽くインセンティヴを与えるわけだ。そうして、責任ある位置をまっとうした「彼/彼女*1」は、自らの責任感ゆえに、あるいはさらに大きなストレスを回避するために、その家畜システムにとどまらざるをえない。
ろくでもないのは派遣先の正社員とかなんだけど、根本的には派遣会社の奴らが派遣先の会社にへつらっているからそうなるわけで、仕事がおわってから派遣会社の人に文句を言おうとするのだが、結局その文句を聞く人も同じアルバイトの人なので、お互いに我が身を共感して問題を先送りするしかない。やがてある意味「動物化」した「彼/彼女」はそういうものだと割り切って、というより単にストレスを抱えないために思考停止するに至る。
「ゆとりを持ちたいということ」が「甘え」に変換されてしまうような窮屈さ。「彼/彼女」にはそういった窮屈な不安が渦巻いているのかもしれない。つまりフリーター的な現場にもひきこもりに似た心理のスパイラルがあるのではないだろうか?とぼくは思う。ぼく自身、離脱してしまったら戻れない…というような不安がないわけではないし。
あっ…さっき買ったクレイジーケンバンドのCDをすでに買っていたことに気づいた。今夜もバイトへ…

*1:AERA』の忌々しい記事によると、請負の場合は20〜30代の若い男性が7割を占めているらしい。