夜勤と夜勤の狭間で

同僚と勤務日を代わったおかげで2日続けて夜勤だ。併せて36時間労働。ちょうど大学では、露文合宿のためぼくを含めた数人以外はみんな軽井沢で楽しんでいるに違いない。
運良く9時半頃仕事をあがれた*1ので、これで新文芸座に行けると歓喜するも、家に帰ると今日までに返却のDVDが…。小津映画は1本に諦めてDVDを観る。

劇場公開の時に観たいと思いつつ観ていなかったが、まさにロシア映画の中でもあまりに「ペテルブルグ的」な映画である。夢か現か。淡々と綴られる日常が緩やかに反転してゆく。何度も挿入される列車のイメージが速度を変化させることで、一貫性と変調をそこに兆す。ゴーゴリの小説並にトリップ感覚を味わえる映画だ。

眠いしバイトまで時間がないし、もうゆっくり休みたいという気分だったが、結果的に観に行って正解だった。未見だったこともあって、まさに不意打ちの映画だった。小津映画の形式に魅せられつつも、随所に挿入された「遊び」の芝居、特に高峰秀子の意図された芝居っぷりが逸脱しながらも映画に収まってゆく体験に魅せられた。妙に暗すぎる山村聰の存在と茶目っ気たっぷりの高峰秀子、さらには彼女の姉を演じる田中絹代、あるいは彼女らの父を、いつもながらに演じている笠智衆。それぞれに人物間のコントラストがすばらしく、特に『父ありき』の有名な父子の釣りのカットに拮抗するかと思える、父娘が縁側に座って鶯のさえずりに興じるカットなど、忘れられない場面のひとつとなるに違いない。

*1:運が悪いと午後2時ぐらいになってしまうのだ。