気を取り直して

今日は気持ち良く日記を書こうと思っていたのに、思わぬ衝撃が走ってしまった。うまく書けるかどうか…
朝からお昼過ぎまで在宅ワークをこなして、昨日予告していた通り映画館に向かった。まず渋谷ユーロスペースにてチョン・ジェウン監督/脚本『子猫をお願い』を観る。評判通りの傑作。心に響いた。何より、構図、カメラワーク、表情、声など表層面ですべてに魅了されるのだ。ただスクリーンを眺めているだけでそこに生じているものに浸れてしまうのだ。
物語はあれが韓国の地方の等身大の女の子の日常なのだろうか…とても痛ましい。ぼくたちのフリーター的な日常の数倍痛ましい。韓国社会の抑圧構造が女の子たちの生き様を通して浮き彫りになる。そこではちょっと立ち止まることさえ許されず、絶えず何かに急かされている様子がまざまざと伝わってくる。この映画自体、かなり早い展開がなされていて、リリシズムは寸断される。女の子たちの現実に対峙しているかのように生々しい表情が映し出されながらも、カットは非情に次々と切り替わってゆく。あるいは、彼女たち5人の友情を繋ぎ止めるツールである携帯電話の着信音がひっきりなしに鳴り響き、彼女らそれぞれの非情な現実に必死に食い下がろうとするのだが、そこで露呈するのはむしろ携帯の無力さなのである。
しかし、そうとばかりも言えない。この映画は、携帯メールやタイプライターの文字がスクリーン上の空間に大きく映し出されるという奇抜な趣向を凝らしているのだが、この文字は彼女らの非情な現実に抗うかのように緩やかに現れ、そして彼女らの中に刻まれると同時にスクリーンを見つめる者たちの中にも刻まれるだろう。そういえば、5人の中でもっとも非情な現実を生きるかに見えるジヨンが独学で勉強していたのは「テキスタイル」だったし、彼女を支えていた熱き友情の持ち主テヒ(『ほえる犬は噛まない』のペ・ドゥナが演じている)はボランティアで身体障害者の詩をタイプライターで文字起こししていたのだった。つまり、2人とも文字に拘泥している。さらに、冒頭のタイトルバックと最後のスタッフのクレジットはまるで「テキスタイル」のようだったではないか。
5人の女の子たちの間は「子猫」と「文字」が媒介するというわけだ。そうはいっても、中国系の双子はそれだけで完結しているとも言えるつながりをもっているし、ただひとりまともに就職しているヘジュは限りない流動性にさらされ続けることを幸か不幸か選択している。あらゆるつながりから疎外される2人はただ佇むことさえ許されず、周囲の「急かし」は加速するばかりなのだ。けれども、感動的な結末に近づくと彼女らが立ち止まっている姿を目撃できるようになる。少年保護施設で真夜中猫の鳴き声に目覚めるジヨンや、そのジヨンの出所を外で読書しながら待つテヒの姿がそうだ。そして、結末はというと、彼女らはどこかに進んでゆくのだが、それはもはや急かされるのではなく、自らの意志でそうするのだった。
現実のぼくは今日に限って立ち止まらない。久々の映画だったからだ。空腹を放置したまま下北沢へ。『ぴあ』をチェックしていたらシネマアートン下北沢藤田敏八をやっているではないか!しかも今日まで。これは行くしかなかった。
というわけで『非行少年 陽の出の叫び』(1967)と『非行少年 若者の砦』(1970)を続けて観る。どっちも観に来た甲斐があったと思わせる傑作だ。前者はそれほど遊びもなく藤田敏八(この時はまだ藤田繁矢だった)の持ち味はまだ抑えられているという感じだが、それでもみずみずしく魅力的な若者像をモノクロの画面に映していた。後者はカラーになり前者よりも過激な若者像を描いているが、カメラワークや構図的な遊びはそれほどではないにせよ、物語の展開は後になるほどかなり奇抜になってゆく。次に何が来るかわからない人を食った展開。ひとつひとつのエピソードは短めに切られ、歯切れ良いテンポで進んでゆくが、急にジャンルが変わったかのような意表のつき具合といい、文字通り突然起こる事故(この事故は『もっとしなやかに もっとしたたかに』の事故の場面を思わせる)といい、藤田敏八的なものが露呈していると言っていいと思う。また、猫への執拗な虐待場面も気になった。『エロスは甘き香り』か何かの超現実的なイメージで豚を刃物でぶった斬る場面があったと記憶するが、そういうのとつながるのかもしれない。いや、違うか…むしろ、7時間半の大作、タル・ベーラの『サタンタンゴ』の猫虐待場面に近いのかもしれない。それにしても石橋正次椎名桔平に似すぎているのが気になったり、令嬢役の梶芽衣子もなかなか良いかもしれないと思ったり、若き松原智恵子が美しかったり…といろいろと気になる点が多い映画だった。
家に帰ってDVDでアルジェントの『歓びの毒牙』を観た後、近くのスーパー銭湯に入ってフィニッシュ。そうはいっても、これから在宅バイトの続きが待っている。それに明日は朝っぱらから他のバイトにも行かねばならない。中島らもを悼むのはそっと心の中で済ませておこう。