世界VS彼女の世界

tido2005-07-23

遅ればせながらDVDで。

DVDを購入したので再び。
林由美香演じる頭の弱い女の日常的な受難劇なのだが、映画(カメラ)は「内密化」しない。撮影の鈴木一博は廣木隆一と組んだ『ヴァイブレータ』において、寺島しのぶ大森南朋の関係を完全に内密化していたが、それと対照的である。林由美香からほとんど言葉(台詞)を奪うこと、そしてセックスの際に苦悶の表情をさせること、あるいは悲劇的エピソードの合間に彼女のボーリングのショット(ほとんどピンを倒せない)や彼女の部屋でボーリング球(みたいな黒い物体)が「ストラーイク、イッパツ、ストラーイク」と喋り出すショットを挿入すること……それらによって、映画はある種の「間=魔」を生じさせる。だから、その頭の弱さと純真無垢な振る舞いによって悲劇に見舞われる林由美香への感情移入は阻まれる。
砂浜を駆けだして顔面から豪快にこけ、立ち上がって再び駆けだしてはこける、という美しいロングショットが示すのと同様に、彼女はその生も躓いても躓いてもまっすぐ駆けることしかできない。職場であるボーリング場の同僚とおぼしきおじさんにはフェラチオを頼まれ、やがてセックスするも、いきなり奥さんに呼び出され、関係をやめるように約束させられる。その後の小銭をめぐるエピソードも秀逸だった。優柔不断な郵便局員に恋をし、付き合って激しくセックスして、彼のために弁当をつくるが、彼は職場で同僚のS女に誘惑され、あっけなく陥落。林由美香に別れを告げる。しかし、結婚が決まった後、酔っぱらった彼は彼女の元にやってきて最後のセックスをするのだった。このようなエピソードに特徴的なのは、強引さの欠如であり、意志や決定が希薄ということである。だから、劇的な瞬間などない。
意志は林由美香のみに宿る。彼女の意志がくじかれ続け、それでもなお何もなかったかのように立ち上がり続けるのだが、一方で異世界の「間=魔」が差し込む劇的瞬間は忍び寄っていた。この映画でそのような「間=魔」として用いられるボーリング。彼女の部屋のボーリング球は男の頭を割るのだった。しかし、ここでも周到に劇的瞬間そのものは回避されている。映画は事後しか映さない。そのために余計、何物かが忍び込む。異世界を呼び込む触媒として林由美香はそれを見事に体現する。ゆえに、単なる不思議少女とはならない。蒼井そらが演じた『つぐみ』(原題は『制服美少女 先生あたしを抱いて』)の不思議少女*1は意味不明の言葉を口にして、最終的には異世界の触媒になりえず、走行中の車から夢遊病のように転落して死亡するのだった。女優の存在感が命運を分けたのだろう。『たまもの』は傑作である。

*1:実際の事件にインスパイアされている。