セルフドキュメンタリーの逆襲@有楽町ファンタスティックシアター

「初期衝動」が通底した私的怪作群。あるいは童貞的自主映画。どうしようもエネルギーがカメラによって映画へと変換される。その器に収まりきらない不定形な力。
『人間らっこ対かっぱ』は成人式の場面から始まり一体何が起こるのかと思いきや、肌を塗って足ひれを付けただけの「かっぱ」や「人間らっこ」や「かに」がけたたましい雄叫びをあげて浜松の町中の川を走り狂う。それが30分ぐらい続く。8ミリ映像の禍々しさもあって観ていてこっちまで気が狂いそうになった。
それに比べて『観音菩薩・母光』はきちんと構成された形になっている。しかし、個々の中身は不定形。淡々と続くナレーションとこれも8ミリの組み合わせ。終わったと思ったらしばらく間が空いて再び続くというテンポが異常性を帯びていて、ラストは衝撃。母はもっとも不定形だ。
『ほぞ』はストレートな衝動。デジタルビデオの映像でも衝動は定着できるということの証明になっている。単に商店街を彷徨うシーンもなかなか素敵だ。
以上3作を観ていて、映画学校時代の講評を思い出した。全員の撮ってきたそれぞれ2〜3分の8ミリ課題を30、40人分続けて観るという体験は何かおかしな感覚を呼び起こす。なつかしい。8ミリを撮りたくなった。
上映後、台風の行方を気にしながら短いトークショー平野勝之は帽子などかぶって園子温そっくりの風貌。実際、話の中にも園子温がちょろっと出てきてどうやら同じ空気を吸っていたのだな……と思われる。*1当時の自主映画にはらっこがたくさん出てきたそうだ。らっこが初めて輸入されてそれをバカにしたらしい。自主映画と仲間の話も。よくもこんな映画を手伝ってくれるなぁ……という話だけど、確かに自主映画をやれば誰しも経験するあの感じは昔だけじゃなく今もあるはず。それは昨日観た『リンダ リンダ リンダ』におけるバンドも然り。無意味なことに驚くほどの手間暇をかけた。何も考えなかった。明日にも期待。

*1:こちら(http://d.hatena.ne.jp/molmot/20050726)によると園子温の姿もあったらしい。