中谷美紀と昭和の匂い
『下妻物語』がけっこう良かったので期待はしていたけど、個人的にははずされてしまった感がある。作り手がそれほど思い入れもなく「昭和節」を用いているためなのか、手法としては洗練されていて歯切れよく見せてくれるから、観ていていらいらするようなことはないのだけど、ぼくはやっぱり「思い入れ」の方こそ見たいのである。思えば『下妻物語』に惹かれたのは、血みどろの抗争をくぐり抜けた後の土屋アンナと深田恭子の表情などに『野良猫ロック』シリーズに見た開放感が重なったからだった。それぐらい良い表情だったし、あの画面には良い空気が漂っていたように思う。
『嫌われ松子の一生』のラストで中谷美紀と市川実日子が空想的な再会を果たす場面はそれに及ばなかった。もっとも、その場面の前にある荒川をなめるようなダイナミックなカメラワークは気持ちよかった。全体を通しては『下妻物語』の人物紹介などで用いられた過去語りのスタイルが全面に押し出されるかのごとく、昭和節がフル活用されている。コントロールされた色彩空間の中で湿り気を帯びた過去とキラキラ輝く未来を交互に引っ張り合わせることで、語りは歯切れ良く進み、ちょっとしたきっかけで引き込まれそうにはなる。が、結局そのきっかけは最後まで訪れず、退屈な時間を過ごすはめになった。個人的には『立喰師列伝』に似た感触を覚えた。似たような路線でスタイルのみに徹底した石橋義正の『狂わせたいの』に比べれば『嫌われ松子の一生』の方が圧倒的に豪華ではあるけど、前者の方が圧倒的に面白いと思える。
そんな感じではあったけど、最後の方になってびっこを引く中谷美紀を見て、ふと昔の記憶がよみがえった。ぼくの田舎にもああいったおばさんがいて、小学校の時はみんなでそのおばさんが住んでる家に行ってピンポンダッシュをやったりするというのが日常の風景に溶け込んでいたのだ。そして昨今の「騒音おばさん」こと河原美代子や平塚5遺体事件の岡本千鶴子の人生もこういった感じだったのかもしれないと頭によぎって、少しだけ感情移入を誘われた。そういう視点から見れば、阪本順治の『顔』とは違う描き方として興味深いのかもしれない。
それにしても中谷美紀、このところやけに昭和づいている。『電車男』に関するインタビューでは「エルメスは昭和の匂い」(http://d.hatena.ne.jp/tido/20050730#p2)と言っていたし、まさに昭和の女性を体現した『力道山』もあった。現実感に乏しいキャラクターを演じることに個人的な興味が傾いているのだろうか。あまり興味がないのでエッセイの類は読んでないから分からないが。一応Wikipediaに目を通したら『ホテルビーナス』の役についても触れられていた。これは観てなかったのでちょっと確認してみたい。バックショットのみの脱ぎや同性愛説についても触れられているのはWikipediaならではか……。そういえば、だいぶ前に新宿二丁目で中谷美紀の友だちと言うラジオ番組制作の関係者と話したのを思い出した。その人の話では彼女は同性愛だと言っていたけど、そういう場所の雑談は話半分といった感じだろう。
パチンコ台の特許調査が民間に外注される件について
http://www.jpo.go.jp/cgi/link.cgi?url=/torikumi/puresu/press_tyousakikan_shinkitouroku.htm
パチンコ、パチスロの機械はよく言われるように特許のかたまりみたいなものである。そのため新機種開発において、より多くの特許を有するメーカーが圧倒的に有利となる。鹿砦社の「アルゼ本」に書かれているように特許をめぐる裁判がメーカー間で起こされたり、かつては独占禁止法に触れるようなことがあったり、その果てに協会で特許をプールして、そこに加盟すれば特許を利用することができるようになる仕組みをつくったり……と複雑な事情がある。また、パチンコとパチスロの間でも微妙にルールが異なっているのでP業界とひとくくりにできない部分もある。
そんな中で新たにこういう話題が入ってきたのだ。どうやら7月3日から開始するようだが、ちょうど話題になっている駐車取締りの民間委託と同様、実際に運用されてみないとどうなることやら分からない。一応は「特許審査の迅速化」が謳われているから、うまくいけば業界の健全化に寄与するのかもしれない。しかし、天下り先が増えたり新たな利権がうまれたりするのだったら、この業界の常で、皺寄せはすべて遊技者に集まるのだ。特許もそうだし、版権の問題などで軋轢が生まれ、中途半端な台がホールに出されて困るのは、結局のところ遊技者である。ホールはメーカーに不満を覚えるかもしれないが、ホールの(改正風適法で厳しくなったとはいえ未だ存在し続ける)様々な煽りによって条件反射的に金を突っ込んでしまう遊技者は愚かではあっても被害者であり、抵抗の手段としては中毒症状と戦いつつ、ホール通いを止めることしかできない。まあ、自業自得ではあるが、アミューズメント化によって表面上の健全化を進める注目の産業としてこれほどの規模を誇っているのだから、一面的に切り捨てることはできないのである。