見ること、見えないこと、見て見ぬふりをすること、そして見つめること

tido2006-05-31

  • 痙攣(監督:田尻裕司、原作:町田ひらく、脚本:芳田秀明、出演:佐々木ユメカ、真田幹也etc)
  • 言い出しかねて(監督・脚本:後藤大輔、出演:向夏、小滝正太、川瀬陽太etc)

あっという間にポレポレ東中野のピンク特集もプログラムDで最後。
『痙攣』は未見だった。レンタルDVDで見かけて町田ひらくエロマンガとリアルなセックスを描く田尻裕司の演出ということでそろそろ観ようと思っていたところにこの上映があったので渡りに船だった。光の加減だとか表情のアップとか力が入っていて良い感じではあるけど、何かが足りない気がする。男優が佐々木ユメカに釣り合ってなかったのか。微妙な問題かもしれない。『PG』99号の田尻裕司インタビューにもあるけど、例えばセックス中の暑さを表現しようと必要以上に汗を用いているのだが、それほど暑さは伝わってこなかった。今岡信治の『彗星まち』などは室内の暑さが画面ににじみ出ている。そういった微妙なところが気になっただけなので、観る人によってはまったく違う感触が得られるのかもしれない。
女性カメラマンの揺れる心情ということで廣木隆一の『ガールフレンド』を思い出させるところもあった。1ヶ月ぐらい前の日記で触れたけどずば抜けた傑作である。ガーリーなBGMが控えめに流れるという感じも似ていたけど、『痙攣』という映画の雰囲気にはちょっと合わなかったかもしれない。広島弁の佐々木ユメカにぴったりの良い曲が他にあるはずだが、ピンクの時間と予算の制約で難しかったのだろうか。田尻裕司の『OLの愛汁』でも、ピンクの劇場で観ると椎名林檎が流れてめちゃくちゃ良いのに、DVDではドビュッシーになってしまっていて残念だった。
『言い出しかねて』(『わいせつステージ 何度もつっこんで』)は昨年のピンク大賞2位。ピンク大賞の時の日記でも触れているので詳しくは触れないけど、本当に愛らしい映画である。素晴らしい場面が何度もある。「見ること」をめぐる様々な揺らぎが極めて豊かにとらえられている。ビアガーデンで盲目の少女を演じる向夏が売れない腹話術の師弟の下心のある優しさに触れて、おずおずと語り始める場面で辺りがすっと暗くなってピンクの提灯に明かりが付く……そんなところも印象に残る。何度でも観たい映画である。

演劇とゲーム

ユリイカ』を買って任天堂特集をざっと読んだ。さすがに10代の頃とは違って、新しいハードを買ってもなかなかゲームに熱中できなくなってしまった今日この頃だが、「我ら任天堂チルドレン!?」の対談など興味深い話が盛りだくさんだった。ぼくはファミコンディスクシステムゲームボーイスーパーファミコン→PCエンジン→PCーFXという流れを中心として、プレステやセガサターン、PC98時代のパソゲーなどに多少触れるといったゲーム遍歴であり、ほとんどの決定的体験をPCエンジンに拠っているので、同時代のことで知らないことがたくさんあって新鮮だった。
あと、鴻上×八谷対談でもちょっと触れられているけど、ゲームと演劇性(身体性)の関係というのは重要な視点だと思う。任天堂はまさにそれを追求してきてDSで再びそれを取り戻したわけだし、細かい操作性や小さな配慮によってプレイヤーをうまく取り込む工夫を凝らしてきたわけである。ゲームボーイ版の『テトリス』についての米光一成の発言などけっこう重要なところだ。

落ちたあと固まるまでのタイムラグとか、下ボタンで落下速度の速くなるスピード調整とか、やっぱり任天堂はゲームをわかってる、というのをひしひしと感じた。BPSのパソコン版とかもあるんだけど、作りが甘くて。

宮崎駿みたいに、よく子供が自然で遊ばなくなって……云々ということを言う人がいるけど、ぼくの子供の時の記憶をたぐり寄せてみるとファミコンを中心とした当時のゲームには紛れもなく身体性があって、またぼくは田舎育ちだから自然でも遊ぶわけだけど、そういった外遊びと室内のゲーム遊びは同列のものとしてやっていたように思う。自然には自然の何らかの意義があるかもしれないけど、ゲームにはゲームの何らかの意義もあったはずだ。それは措くとしても、演劇性あるいは身体性、またはかつて『ゲーム批評』で論じられたような「無形技術」は、ゲームにおける重要な要素として育まれてきたものであり、それなしのゲームは味気ないものになってしまう。
ぼくはそれをPCエンジンから多分に受け取ったから任天堂特集だけでなく、どこかでPCエンジン特集とかNECアベニュー特集、または完全になかったことにされようとしているPCーFX特集などをやって欲しいと思う。当時のCDーROMの読み込みの遅さ。あのハンデキャップを持ちながら、ぼくたちユーザーを虜にし続けたマイナー精神を蘇らせて欲しいものだ。『ウルトラボックス』シリーズとか、昨今の流行でもあるミニゲーム詰め込み系のものもすでにやっていたのだ。しかも、女の子が延々と縄跳びしていて、ボタンを押すとジャンプして縄を飛び越えることができ、それをうまいこと継続しているとどんどん女の子の服が脱げて行くというミニゲームとか、それのハードル版とか(笑)
ぼくのかかわっているP業界についても、パチンコより遊技性の高いスロットはゲーム世代がメインであり、リール制御のスベリや目押しというものは身体性と無縁ではないのである。それについては後々考察していきたいと思う。

今度のバトルは熱くなれない?

イメージにもあるように体験版のパチスロ「北斗SE(スペシャル・エディション)」をプレステでやってみた。制約上100G限定なので十分に演出を楽しむことはできないけど、かなり高確率でチェリーやスイカを引けて、5度ほどプレイしたらだいたい50G前後でボーナスを放出してくれた。基本は前作と同じだが、細かい演出の違い(特にジープ演出)やハートの登場、ステージが昼・夕方・夜の区分になるなどの変化が見られる。大きな違いとしてはバトルボーナスシステムがある。これはあまりに大きい。この体験版が実際の機械に忠実なものならば、かなり不安がよぎる。というのも、前作の北斗のAT(アシストタイム)とJACゲームがまるまる入れ替わっているのである。
詳しく説明しよう。「パチスロ北斗の拳」では、まずATがあり、その時の演出はザコによるフラグナビであった。ジャックインに続く8Gはラオウとのバトル。この演出で継続か否かの期待度が示される。「北斗SE」の場合。まずラオウとのバトルが最初にある。これは6G。しかもJACゲームではなく、通常のゲームと同じであり、小役はフラグが成立してなおかつ狙わないと揃わない。もちろん告知もない。BGMも前作のAT中の音であり、ラオウとのバトルにまったく熱さが感じられない。6Gを消化すると、炎の画面をバックにJACが揃うゲームとなり、ジャックインすると8GのJACゲームがスタート。この時の演出はただ単に青ザコを倒すだけだ。BGMは前作のラオウとのバトルの時の音楽である。つまり、演出はまったく逆になってしまっているわけだ。あと、気になる一点として、ラオウ剛掌波を食らって背景の雲が流れていた(ように見えた?)のにボーナスが終わってしまったのは気のせいだろうか……。
100G限定版なので7連の「愛をとりもどせ!」、14連の「タフボーイ」を聴くこともできず、昇天モード確定となるユリア演出なども謎のままであるが、ともかくプレイした範囲では落胆せざるをえない。とはいえ、もともとの北斗の完成度の高さを考えると、それなりに良い台として仕上がっているだろうし、微妙に不安を覚えながらも実機の登場を胸を躍らせて待つしかないだろう。