ロシアンリアリズム

ミハルコフの『持参金のない娘』は本当に素晴らしかった。上流階級の人間ドラマを撮らせればミハルコフは超一流だろう。『機械仕掛けのピアノのために未完成の戯曲』も『愛の奴隷』も、悲喜劇の入り混じったリアリズム映画として魅力にあふれている。ぼくはこの『持参金のない娘』が一番好きだ。少々長い尺を飽きさせず見させる語り口といい、細部まで計算された段取りといい、まったく穴がない完璧さである。以前、アルバイトで日比谷のプレスセンターに出向いたとき、そこでニキータ・ミハルコフの記者会見が開かれていた。『シベリアの理髪師』の公開に伴ってだった。ぼくはアルバイトの特権を生かして、その記者会見のプレス用資料をもらった。本当は会場に入りたかったが、それとは無関係のバイトだったため、しぶしぶ断念したのだった。ロシア映画のリアリズムは、パフチンの理論でお馴染みのポリフォニーに特徴づけられている。ドストエフスキーの小説がそうであるように、様々な「声」が入り乱れているのだ。しかし、それを段取りでもって、いきいきと見せるのは途方もないことであり、それを成し遂げてしまうのがやはりロシアの土壌なのだな、と思うのだった。ぼくはロシア文学を専攻する者として、そんなロシアの特徴に強い興味を覚える。