『座頭市 地獄旅』

監督は三隅研次である。今回の勝新太郎映画祭の中で最高傑作の声(http://d.hatena.ne.jp/Hoshino/20031129)もある本作はさすがに面白い。「業」の物語ということでは『座頭市物語』や『座頭市 兇状旅』にやや劣るものの、言葉やイメージといった表層の緊密な連鎖において圧倒的な世界を描ききっているのである。
例えば、少女やその母親、あるいは座頭市を介して発せられる「ありがとう」という言葉。この言葉が重要な場面で効果的に反復されることで、3人の緊密なつながりが象徴的に描き出されている。さらに例を挙げると「水」のイメージがある。冒頭の「川」、絶妙なタイミングの「夕立」、箱根の「湯」など。「水」のイメージが人と人との関係を象徴的に媒介している。そういった要素のひとつひとつが緊迫感のある映像を可能にしているのだ。
また、女おたね*1の「編笠」、市が買いに行く「薬」、浪人の「癖」、復讐を誓った女の「男装」…など極めて象徴的な仕掛けが多々登場し、深読みすればいくらでも様々な誤読ができそうなほどであるが、もっともスリリングなのは、座頭市があたかも探偵のように論理的な捜査を続けていく過程において、説明的な台詞等をほとんど排除してイメージの連鎖だけで見せているところだろう。市と浪人のクライマックスは、シンプルでありながらかつてない緊張感の高まりがある。
というわけで、『座頭市 地獄旅』は大傑作だった。個人的には「業」の深さが感情を揺さぶる『座頭市 兇状旅』の味わいも好きなのだが、一方で緊密に構築された美しさの『座頭市 地獄旅』も捨てがたいと思うのだった。

*1:座頭市物語』で万里昌代が演じたおたねとは違う女。市とは、その娘を通じて懇意になるがロマンスは芽生えない。2人の語らう場面では、市が愛したおたねについての言及もあり、市がおたねの顔を触る辺りは『座頭市物語』の市とおたねのシーンを思い起こさせる。