気まぐれ

息抜きにゲームをやることが多くなってきた。今はとりわけセガサターンの『廊下にイチダントアール』。頭の体操代わりに良い。
ベケットを考えるにあたってゲーム感覚は参考になる。そう思ったわけではないけど、ドゥルーズベケットの『消尽したもの』に所収されている「クワッド」「幽霊トリオ」なんかを読むとあながち外れていないなとも思った次第。「クワッド」などはテレビ放映用のシナリオだったのだが、どうにかして観られないものだろうか。空間の消尽というものを観てみたいと本気で思っている。
ドゥルーズの考察や後期ベケットの作品にあたっていたら、ゴダールに似ていることに肯けるような気がした。つまり「消尽したもの」とは意味をはぎ取った強度が露呈するということであり、文学の言葉、声の言葉、空間、イメージの表面に対して穴を穿とうとしたベケットは、ゴダールよりもさらにラディカルなのかもしれない。