キリクと世界の事物

新文芸座で『キリクと魔女』を観てきた。ちょっと前に恵比寿ガーデンシネマでやっていた時に観られなかった後悔もあって、今か今かと楽しみにしていたのだけれど、今回の「シネマカーテンコール」では日本語吹き替え版しか上映しないみたいで、それに伴いがちな勘違いへの不安がないわけではなかった。しかし、高畑勲の翻訳・吹き替え演出はうまくいっていて杞憂に終わったことをひとまず賞賛しておこう。
監督ミシェル・オスロについてはまったく予備知識ゼロだった。同じくフランスのアニメ作家ではルネ・ラルーを思い出す。ルネ・ラルーの荒廃した世界は生理的な快/不快に訴えかけてくるもので、これぞアニメというメディアの決定的な特性だと納得させられる。そして『キリクと魔女』こそ、その点で素晴らしいアニメだった。
古代の壁画を想起させる横の構図の多用。さらに独自の色彩感覚で作画された背景の豊穣さと、そこから浮き出た貼り絵のような生々しい人物によってアニメならではの身体感覚を際立たせており、視覚的な快楽を覚える。そして、横の構図の連なりに突如挿入される縦の構図の奥行きとスピード感!あの心地よさは言い尽くすことができないだろう。
物語的には、神話的な定型のあざとさなどが目に付くと言えばそうなのだが、こちらも生理的な快楽を意識しているのか、心地よい反復や起伏のある展開に流される。偏向した視点によらない眼差しで観れば、これほど心地よいアニメはないだろう。
こういった感覚のアニメはむしろ海外のものに多く観られると思う。日本のアニメではジブリ作品も生理的な快楽をうまく描き出していると思うが、一般的にはリミッテッド・アニメはそういったものとは違うものを描いていると思う。しかし、たまにはこのような、ただ流れに身を任せたくなるようなアニメもいいものだ。ノルシュテインらの『冬の日』も公開されているようだし、時間があれば行ってみたい。