遡行(続き)

昨日は本当に寒かった。新宿駅から新宿御苑まで行くのに、やむをえず地下道を通りたい気分だった。といっても、新宿二丁目辺りからは地上を歩かねばならなかった。
シアターサンモールはなかなか良い劇場だった。設備の悪い小劇場かと思ったら嬉しい誤算である。
それでBQMAPの『Re-』についてだがとても良かった。冒頭こそ、お手本通りの芝居というか、予定調和的な感じがして、これは失敗したな…という予感を抱いてしまったのだが、10分ぐらい経ったあと急に面白くなる。
時間設定は現代、舞台はとある鍾乳洞、テレビ番組の取材でレポーター、ディレクター兼カメラマン、照明係、録音係の4人がいかにも臭い芝居をやっているところから始まる。(いや、冒頭には時間軸をずらした伏線となる場面が一幕あった。)そこに加わる女子大生3人のキッチュさといい、本当に退屈で笑えない状況が続き、思わず目を背けたくなったほどである。ぼくが期待した幽霊の登場シーンもローレンス・オリヴィエの『ハムレット』から一歩も進歩していないような描き方で、まったく感情移入のできない代物だった。が、実はその鍾乳洞が源義経ゆかりの場所だという展開になり、急に時間軸が跳ぶ辺りから面白くなる。
そこに続くのは源頼朝の追手から逃げる義経、弁慶ら4人の話だ。さらに義経のなくした恋人そっくりの巫女が色を添える。男4人による体を使った台詞の応酬に爆笑を誘われながらも、シリアスな展開はシリアスな演技で魅せてくれ、さらに場面場面で挿入される舞踏や殺陣が効果的なのだ。決してそれ自体がうまいというわけではないが、2時間少々という時間を飽きさせないような配分で、物語展開と芝居の見せ場が交錯しているのだろう。
短い暗転を除けば舞台はひとつなのに、その舞台を重層化してみせる手腕には感動した。三段階の高さに構成された岩場のような舞台を、単に高さによってレイヤーを分割しているのではなく、幽霊/幽霊でない者、幽霊を感じ取れる者/幽霊を感じ取れない者、義経の時代の者/現代の者といういくつもの軸を終焉に向かって複雑に重層化させてゆく。だから、ぼくは目の前のひとつの舞台を観ているのに、そこに3つや4つの舞台が重なっているかのように錯覚されるのだ。ぼくにはそういった方法がまさに「幽霊的」だと思えた。
ルネサンス期の誰かが「天使の視線」*1ということを言っていたようだが、「幽霊的な視線」は過去の空間や時間を往還するものだと思う。ぼくがそれを学んだのはベケットにおいてだが…。
『Re-』が描く幽霊は主に3種類である。弁慶の幽霊。小梅という現代の女の子の幽霊。そして、クロと小梅に乗り移る義経と薺の幽霊。冒頭であざとい演出にうんざりしてしまったものの、中盤で登場する弁慶の幽霊は「くしゃみ」をするところから始めたのであり、ここにゴーゴリ的なリアリズムの幽霊*2を見て、最初のあざとさが伏線だったことに気づく。小梅の手が冷たいという伏線も最後まで生きてくるのだから、この芝居の計算はかなり周到なものだったのだ。ぼくは騙されかけた。
そう思うと、終始クールな演技で「お寒い場面」を救っていた音響係を演じていた女性*3が持つ鞄にも注目せねばなるまい。彼女の仕事用かと思われる地味な鞄には「1945」という数字と「原子力プルトニウム)のロゴ」が堂々と刻まれているのだった。そうだ。この芝居は、歴史への懺悔に貫かれたものだったのだ。義経の帰還を待って死に絶えた弁慶の幽霊が、時代を経て偶然の再会を果たすという物語は、1945年に断絶した歴史への視線に他ならないのだ。
そして幽霊とは歴史の幽霊であり、音声の彼女が最後に、小梅の幽霊に囁く「忘れない」という言葉は、歴史の幽霊に対する誠実さの証だったのではないか。幽霊を見ることも感じることもできない人々は、この芝居の中では歴史の幽霊を忘却していたのであり、タイムトラベラーズとかいう女子大生グループが歴史のうんちくを語りながら全国各地を小旅行しているということも、1945年以降の忘却に依拠しているものだからこそ、彼女らはあれほど歴史好きでありながら弁慶らの幽霊を見ることができなかったのだ。
マクロ的な視点だけでなく、幼なじみというミクロ的な視点においても幽霊の媒介によって、過去の記憶を回復させようとしているところもあり、まったく一筋縄ではいかない物語には舌を巻いてしまう。これを無意識に作っていたら、それもすごいと思うが。こうして長々と書いてしまっても、本日までの公演、はてなユーザーのひとりでも観に行っているのだろうかとちょっと疑問に思ってしまったが、自己満足ということでもいいからとりあえず書いておくことにした。BQMAPは次回ゴールデンウィークにも再び公演をするらしいので、前衛的なものとかではなくて、ウェルメイドな芝居を観たいという人がいたらぜひ観て欲しいと思う。

*1:確か、ぼくがそれを知ったのは大澤真幸の本の中で紹介されているのを読んで、だと思う。オウム真理教を論じた『虚構の時代の果て』だったか…

*2:ニコライ・ゴーゴリの『外套』に出てくる幽霊は「くしゃみ」をする。滑稽で悲しいお話。ゴーゴリの手法はグロテスク・リアリズムとか魔術的リアリズムなどと言われ、マジック・リアリズムとも共通する特徴をもっている。厳密には、ロシアの民話語りなどからの伝統も引き継いでいて、マジック・リアリズムと一緒くたに扱うことはできないと思われる。

*3:彼女を評してパンフレットから実名を拝借しよう。中村恵子さん。