レイトショーで

それほど期待していたわけでもないが『ブルース・オールマイティ』を観た。『ライアーライアー』等のトム・シャドヤック監督とジム・キャリーの組み合わせである。
うーん全体的に退屈ではあるけれど、ところどころで笑ったり感動したりできる場面があってそれなりに楽しめたという感じ。モーガン・フリーマンが「神」を演じているのだから、それはそれですごい居直りだ。普通の人間が神になり替わってみるというストーリーは何となく思いつきそうで、今までにも見たことがあるようなないような…
ジム・キャリーにおけるCGの使い方なども『マスク』以来のハイ・ブリッド方法をうまく適用していて違和感なく観られた。ジム・キャリーの芸*1はさすがで、クリント・イーストウッドのモノマネから、『マジェスティック』の自分自身の役柄のパロディまで楽しませてくれる。しかし、メリハリがないのでどうにも弛緩した印象が強くなってしまう。この映画で使われている、音楽と音響の平坦さにもうんざりする。ブルースの敵役でアンカーの座を勝ち取る俳優のメリハリが、ジム・キャリーや映画のリズムにあればもっと良かったのに…
しかし、ジム・キャリーのコメディはいつもそんな感じなのだから、そのようなメリハリのなさが彼の持ち味なのかもしれない。たたみかけるような表情と身体のコメディこそが持ち味なのだろう。それを保証するかのように、スクリーン間近に陣取っていたアメリカ人は悲鳴に近い爆笑をあげ続けていた。ところどころはぼくたち日本人も爆笑していたから、メリハリのなさはひとつの見解に過ぎなくて、この映画の価値すべてを下げることにはならないと思う。
それでもぼくは、ジム・キャリーの魅力は受動的な役柄の時に生きてくるのだと思う。『トゥルーマン・ショー』や『マジェスティック』に見るジム・キャリーの方が魅力的に映るのだ。蓮實重彦トム・クルーズを評した魅力とも似た輝きには及びもしないが、彼の同情心を呼び起こさせるような受動的な姿には多少なりとも心を打たれるものがあると思えるのだった。

*1:演技というより芸といった方が適当だろう。