トランスジェンダー

思わぬ衝撃!いや…その話はもうちょっと後に出すとして、田舎で体験した本日の出来事を綴っておこう。最近はこんな辺鄙な町にも、しゃれたカフェがいくつか建ち始めていて、車を10〜20分走らせれば*1、海の見える白塗りの立方体のなかなか良い所があるということで、行ってみると本当に辺鄙なのだが、店の雰囲気は青山の辺りのようなしゃれた感じであった。そこで手頃な値段のうまいディナーをいただいて、ひとり暮しの祖母の家を訪ね、祖父さんの仏壇を拝み、祖母さんとも少し話したりした。しかし、田舎の年寄りというのは本当に病気の話ばかりだなぁ…そこらの人間よりも病院や健康に関する話題に明るく、ちょっとした評論家といった風情なのだ。
その後、母親の知り合いの美容師が夜でもカットしてくれるというから、気が進まなかったけど、田舎に帰ってからというもの、流されるまま受動的に過ごしているぼくは、それを受け入れることにした。どうせろくなもんじゃないだろうと内心思いながら…。というのも、ぼくの母は田口ランディ並にオカルト志向で、おかしな霊媒師やら占い師やら個人宗教の類にどっぷり浸かってしまうことが多々あり、そんな時、家のトイレの壁には妙な札が貼られていたりしたのだった。
波乱万丈の人生と言わしめるその美容師は案の定、占いやら人生相談やらいろいろなことをやっているオバサンであり、ほぼ初対面のぼくは率直な判断に困ったけれど、とにかく髪はきっちりカットしてくれて安心した。その後、映画やら身内の鬱病やらについて2時間ぐらい雑談していたら、どうやらいつもそこに遊びに来る人たちがやって来たらしく、対面してみると、ひとりはまるで飯野賢治の風貌をした大男、もうひとりはか細い眼鏡の青年である。やはり、前者は風貌通りのゲーマーだったが、もうひとりは女になりたいというトランスジェンダーな人だった。
ちょっとした町のサロンの機能を果たしているその美容院においては、ある種の人たち(ぼくの母親を含む)がありのままの自分をふるまえるらしくて、その人もオバサン相手に声も仕草も女の子なのだった。女装写真を見せてもらったりしたけど、なかなか色っぽいものもあったりして雑誌にも掲載されたということだった。ぼくも新宿二丁目の話をしたり、オバサンが身内の性転換手術の話をしたり…しかし、どこかでコスプレやゴスロリ関係ともつながっていて、そういった分野には横断的にジェンダーやセックスが強く関わっているのだなと思わされた。
そして、いよいよ衝撃的な話。雑談する内にボーイズラブとかロリコン漫画についての話へと展開するとはまさかぼくも思わなかったけど、なぜかこのオバサンはそういった話題に強く、作品的な知識には疎くても、人づてに得た裏事情に精通しているのだ。ぼくが衝撃を受けたのは、八的暁の名前だった。
岡山県出身だとは知っていたけれど、まさかこのオバサンの知り合いに八的暁がいるとは!以前、ロフトプラスワンのイベントで、ぼくは八的暁のサイン入りロリコンイラストを貰ったこともあるのに…。そんなところで知り合いを見つけたのが衝撃で、いろいろ話を聞くのを忘れてしまったが、機会があればぜひとも紹介してもらいたいなぁ…ずうずうしいか…。
いろいろな話が聞けて、いろいろな人が出入りしているのは楽しかった。しかし、このオバサンが小さな町の求心力となっている要因として、豊富な知識と人脈はさることながら、面白いものに興味を示す貪欲さと自信のみなぎる断定口調(細木数子ほどではないが…)があるのではないかと思った。ぼくが興味あるにもかかわらず、あまり打ち解けて話せなかったのは、おそらくそういった彼女の姿勢に警戒心を抱いてしまったからだろう。ぼくの母親はそういった人物にすぐさまカリスマ性を見出して盲信的に親しみを覚えてしまう傾向にある。悪い人ではないから、実害はないのだが、ぼくが後で母親よりは客観的な立場から、盲信的な傾向を自覚したほうがいいと指摘したら、暗い顔をして口をつぐみ、それまで陽気にはしゃいでいた姿が嘘のようになる。これはかつての躁鬱病的な資質がまったく改善されていないことを表していた。たまに帰省すると居心地はいいが、毎日この母親と一緒に過ごすとまた腹立たしく不快な日々を送るはめになるだろうと、改めて自覚させられた。でも、世の中にはある種の盲信を持続することでしか日々を送れない人もいるのだろう。『サイゾー』連載の江川達也の漫画のエピソードを思い出してしまった。

*1:ぼくには未だ免許もなく、知人か親の車でしか移動のしようがない。