硬派な読書をしようと思う

実家に帰省した際に図書券を貰っていたので、話題の芥川賞2作を買おうと思って大学の生協まで行ったけど、結局買わなかった。ぼくが行ったいくつかの本屋では『蹴りたい背中』は売り切れていて『蛇にピアス』は置いてあったが、どっちもかなり売れているのだろう。仕掛人たちの思惑はうまく行っているわけだ。
蛇にピアス』を少し立ち読みしてみたけど、それなりに読ませる。個人的には、身体改造というモチーフに惹かれるのだろうか…。ぼくはそういったジャンルのエロマンガに親しんで来たし、(特にしのざき嶺の)影響を受けてきたから、身体改造のモチーフ自体は鮮烈ではないが、例えば村上龍の『ピアッシング』などとは違う話のようだし、冒頭で女が男からスプリットタンの話を聞いてから自分の舌にピアスをするまでの描写のあり方からして、なんというか直線的な感じがした。女がためらう時といったら、確かピアスの大きさを12から14にしてもらう時だけで、後は特異な感情表出もなく話が進んでいくので読みやすそうである。
村上龍の『ピアッシング』を取り出して比べてみようかなと今思ったが、目に付くところにありそうもなくて発見できない。しかし、かつての村上龍だったらまどろっこしい内面描写はしないにせよ、絶妙な比喩表現で間接的に感情描写をしていただろう。クローム鍋の沸騰を見つめる女*1…みたいな感じで。
隣りに置いてあった本に注意が惹きつけられたので、ぼくの短い立ち読みは終わった。平田俊子の『ピアノ・サンド』である。ほとんど詩に興味のないぼくにとって、平田俊子は唯一といっていいほど特別な詩人である。数年前、武蔵大学で催された「オールナイト・ポエトリーリーディング」で島田雅彦らと共に詩を朗読した平田俊子の詩はその後も記憶に残って、その後も何度も記憶に蘇ってきたのだ。「いなくなったあとも猫はいて いくつも疑問を投げかける」という詩など、ひとりで何回朗読したことか…。

なぜ今になって笑うかこの猫
生前無愛想を決めこんで
一度も笑わなかったのに
写真になった今になり
毛深い笑顔を見せている


なぜ今になって鳴くのかこの猫
生前無口を決めこんで
一度も鳴かなかったのに
写真になった今になり
雑音みたいな声で鳴く


なぜ今になって歩くかこの猫
生前無精を決めこんで
一歩も歩かなかったのに
写真になった今になり
写真を抜け出て散歩する


なぜ今になって食べるかこの猫
生前無食【むじき】を決めこんで
一度も食べなかったのに
写真になった今になり
明日のぶんまで食べている

ついつい全文引用してしまった!そんなこともあって、芥川賞よりもこっちを買わねばと思った。そして一度決壊した堤防は元に戻らない。同時に数冊本を買う。まず、大学生協に注文していた稲葉振一郎著『経済学という教養』が届いたということだったので購入。帯の「『人文系ヘタレ中流インテリ』に捧ぐ」というコピーが身にしみる。「HOTWIRED JAPAN」連載時にしっかり読んでいなかった分、この際苦手意識を克服しようと思う。
次に、大学付近の本屋に移って、前から狙っていた犬塚稔*2著『映画は陽炎の如く』を購入。以前、立ち読みした感じではあまり面白そうじゃなかったので敬遠していたが、決壊した自己抑制はあっという間にぼくをレジへ向かわせる。そこでついでにジャン・ゴルダンとオリヴィエ・マルティ著『お尻とその穴の文化史』を購入。これも発売当初から狙っていたのだが、当時それほどアヌスへの興味があったわけではないので購入は控えていたのだ。その後、観念的にも実践的にもアヌスへの興味が高まっていたので、今回はためらわず購入。エネマグラ時代*3を読み解く書として。

*1:なぜか『イビサ』に出てくるこの比喩が頭から離れず、村上龍のことを考えると、クローム鍋の沸騰…クローム鍋の沸騰…クローム鍋の沸騰…が頭の中を駆けめぐってゆく。

*2:座頭市物語』から始まる「座頭市シリーズ」の脚本の大部分を担う。緻密な時代考証と物語展開の巧さで魅せてくれる。脚本家として活躍する前には映画監督として活躍していたらしい。

*3:最近はアナル系の風俗店も増えているとか。昨年末、就職した先輩たちと飲み会をした時、エネマグラの話をしたらその場にいた5〜6人のうち1人だけが反応して、その知人は『モノマガジン』の編集をやっているので、さすがだなぁと妙に納得させられた。