「波状言論」第2号を読む

長いだけでなく充実した内容の「波状言論」。冒頭の東浩紀コラムで「メタリアル」がテーマになっていたように、従来の2項対立図式(リアル−ヴァーチャル、フィクション−ノンフィクション、オリジナル−シミュラークル…etc)は無化しつつあり、いやむしろそんなことは当たり前であって、思想側からの「把握」の方が遅れているほどなのだ。特に、東浩紀が「メタ的なもの」こそ前提となっていて、物語を物語る方が困難、あるいは転倒しているのだという趣旨は説得力がある。
メタ物語的な技法、すなわち解離の技法は、今の時代にあって作法といえるほど一般的なものとして浸透し、コミュニケーションのレベルでも常に要求される。「解離」という言葉が出てくるということもあって、斎藤環の新著をますます読まなければという思いを強くしたが、東浩紀が例えば映画『アイデンティティ*1に見出すポストモダン的なリアルのあり方=「メタリアル」はこれからのコミュニケーション、文芸、映画、ウェブなどをめぐって重要な認識となるに違いない。
そう考えると、「波状言論」の連載はどれもことごとく「メタリアル」に関係するものばかりだ。というより、東浩紀の意志の下、そういった認識を前提とした人たちが、つまりポストモダンの条件を享受した人たちが「メタリアル」な問題意識を共有しているのだろう。西尾維新インタビューはその点とても興味深い。過酷な現実をファンタジーによって表現するという事例は昔からいくつもあるが、西尾維新の「新本格魔法少女りすか」に関しては従来のものと異なる印象を受ける。もちろん、東浩紀が(あえて)深読みしているような「原爆」や「北朝鮮」のメタファーも否定できないが、そういったリアルさとは違って、「内在的なリアルさ」とでも言えるだろうか…ぼくには西尾維新が書くようなあり方にある種のリアルさが必然的に伴ってきているような印象が強い。そして、そのようなあり方は「メタリアル」と密接に関係していると思う。
読了して間もなく、ぼくの頭は掻き乱された状態なので、佐藤心にしても「テキストサイトの現在」第3回目の濱野智史にしても、たいへん興味深い内容だけど、詳細に触れることは慎もう。とりわけ、濱野智史の考察はまさにネット上におけるコミュニケーションの「メタリアル」に遠からず関係していると思われる。だから、大衆化によって作法や前提をわきまえない人たちが流入してきた後、今はまだ過渡期としてネット社会の変遷をしっかり見つめていくことが必要だろう。こんなどうしようもない時代に生きているという悲観は、「波状言論」を読むと、いや動きつつあるこの時代はなかなか面白いんじゃないかという認識に変えてくれる、といささか過剰にぼくは評価したい。

*1:そういえば、boid.netの青山真治の日記でも(当人は観ていないそうだが)『アイデンティティ』に触れていて、ジェームズ・マンゴールドへの注目は偶然ではないことが窺える。ぼくは『アイデンティティ』可もなく不可もなくといった感じだったので、東さんの作品論の行方が待ち遠しい。中原昌也は衝撃のネタバレ注意!モノに位置づけていたが…