『御用牙 かみそり半蔵地獄責め』
1973年の勝プロ作品ということで、同時期の『子連れ狼』シリーズと似た空気感を共有している。ひとつに宮川一夫の撮影という点は大きいだろう。しかし、決定的なのはやはり若山富三郎と勝新太郎の差である。「虚無」を体現することにリアリティのある若山富三郎と違って、いかに70年代の物語が「砂漠」であろうと、勝新太郎の場合は力ずくで物語を立ち上げてゆこうとするのだ。すなわち、座頭市的な民衆蜂起として。
町で十手を預かる役人板見半蔵は「かみそり半蔵」として名の通った荒くれ者だ。冒頭、薄暗い町を駆け抜ける2人の男を追う半蔵とその連れは、武士の行列に出くわす。逃げる2人の男を切り捨てようとする武士たちに対して、いきなり啖呵を切る「かみそり半蔵」=勝新太郎。「座頭市以前」*1の勝新が『次郎長富士』で演じた森の石松に通じるキャラクターが垣間見えるが、「おう!武士がどうしたってんでぃ!どきやがれぃ!」と啖呵を切ってゲリラ戦法でバタバタ悪人を殺してしまう姿は、70年代の「砂漠」を突き抜けている。
その後に来るタイトルバックの素晴らしさ!朝靄の中、ふんどしとさらしのみをまとった半裸で、拳にメリケンサック*2のようなものを装備した勝新太郎が、石のお地蔵さんを殴り倒す瞬間に『御用牙 かみそり半蔵地獄責め』という赤字が刻まれ、オープニングロールの背景ではひたすら己の「まら」を鍛錬しているのだ!木槌のようなもので叩いて鍛え(この場面の勝新の表情は注目に値する。あれは職人的な、あるいは、ライフワークをしているかのような表情なんじゃないか…)、挙げ句に米俵に向かってピストン運動を続け、突き破られた穴からパラパラと米粒がこぼれるという…なんという情緒だろうか。
『子連れ狼』シリーズと同じように、様々な凶器による大量殺戮と血飛沫、風呂から立ちこめる湯気といたぶられた女などのモチーフは使われているが、やはり勝新には弱者の心情に加担するペーソスとその裏返しであるユーモアの根がしっかりと据えられている。これは…紛れもない傑作だ。