『赤い月』は青かった

時間の都合で観たい映画が観られず、仕方なく観に行ったのは『赤い月』。まったく期待せずに行ったら、まさに期待通りの駄作ぶりだった。それでも金を払った分は楽しもうとして努力したのだけど、どうやらぼくには荷が重すぎたようだ。始まって5分もしないうちに早く映画が終わってくれることを願い続け、ようやく終幕した約2時間後にはほっと胸をなで下ろした。まるで退屈な授業のようだった。
戦争と終戦後の貧困を背景に奔放なまでに自らの意志を貫く女。常盤貴子の演じるその女の姿がこの映画の中心となり、彼女をめぐって3人の男が愛を交わす。夫=香川照之とは夫婦の絆で結ばれてはいても、ネガティヴな夫と生への意志に貫かれた妻は噛み合わない。軍人=布袋寅泰は戦争で果て、永遠に彼女と別れる。スパイであった愛するロシア女を自らの手で処刑した男=伊勢谷友介は、彼女の献身的な愛によって廃人から再生する。
…と書くと美しいが、どうしようもないぐらいリアリティがなくて、ハリウッドの古き良きメロドラマに似せようとする努力が滑稽でしかない。耳障りなオーケストラ、すべて同じレベルで録音されているフラットな音声も、観客の疎外感に拍車をかける。こんなミスキャストは久しぶりだ。個人的には『あずみ』以来久しぶりに腹立たしい気分にさせられた。ちょっとぐらいの駄作では気分を害すことのないぼくでもこれだから、気の短い人たちは途中で出て行くに違いない。*1
もしかして、年寄りの満州ノスタルジーみたいな映画なのだろうか?降旗康男はどういう思いで作ったんだろうか?高倉健との堅実な仕事ではなく、どうしてまったくキャラ違いの伊勢谷友介なんぞ使ったんだ?常盤貴子が伊勢谷を阿片中毒から更正させようとするくだりなんて、サリバン先生とヘレン・ケラーの俗悪なパロディとしかなっていなくて、赤で彩られたファム・ファタールとして描かれようとしていた常盤貴子は、伊勢谷の「子供還り」としか映らない演技によって「母」の位置に追いやられてしまう。だから、その後の場面で、伊勢谷とのセックスを子供に見られ、自分の意志で生きる「女」を訴えかけても説得力がなく、子供たちがなんで素直に受け入れるのかまったく不可解だった。
本当に困ったもんだ。口直しにビデオでも観よう…

*1:実際、ぼくが行ったコマ東宝の客も途中で2、3人ほど出ていった。