プロレス・ノスタルジア

瀬々敬久監督『SFホイップクリーム』をビデオで観る。
不思議惑星キン・ザ・ザ』を下敷きにしたこの一風変わったコメディタッチのSFは、フィリピンで撮影されたという。だから、登場してくる宇宙人というのはおそらくフィリピンの人々なのだろう。しかし、当時の社会風刺という側面を持っていた『キン・ザ・ザ』に比べて、『ホイップクリーム』はというと何を反映しているのだろうか?確か松田政男だったような気がするが、この映画を評して「映画とは志だったのではないか、瀬々君?」と書いていたような記憶があるが、『トーキョー×エロティカ』の作り手としては少々緩すぎる印象が否めない。
けれども、武田真治の振る舞いを眺めていると、これは徹底したコミュニケーションについての映画ではないかと思えてきた。『キン・ザ・ザ』の人々は「クー」(「キュー」という罵倒語を除けば)という言葉のみであらゆる意思伝達を図っていたわけだが、『ホイップクリーム』では「ワラワラ」という言葉であらゆる会話がなされている。地球からやって来た武田真治松重豊は「ワラワラ」語を知らず、ふつうの日本語を話している。松重豊の方は、瀬々作品の登場人物に見られる内面に奥行きのない突発的なキャラクターのように見える。一方、武田真治の方はもっとすごい。内面の奥行きは確かにないように見えるのだが、それ以上に何を考えているのか分からない「へらへら」感を漂わせていて、瀬々の演出なのか武田真治の役作りなのかその両方なのかよくわからないのだが、映画の持つトーンと調和しているように思える。もっとも、時折挿入される武田真治のモノローグは単調なのだが…。
そして、地球人2人の間のディスコミュニケーション。この2人の間にはなんの共感も存在しない。まさに『キン・ザ・ザ』風の宇宙船の中で武田真治松重豊に物語を聞かせる場面があるが、そこでのすれ違い様が端的にディスコミュニケーションぶりをよく現している。映画の終わりの方でこそ、2人は「共闘」するけれど、その時は「透明人間」になっていて、さらには敵の服を着用するという皮肉な描写になっている。あと、宇宙人との食事の場面で、意味も分からないままに「ワラワラ」と発語する2人の意図が相手に通じてしまうというのも興味深い。
そのように見るとこの映画はコミュニケーションの現実を反映したものなのかもしれない。そうすると、ひとつ難点があった。宇宙人をフィリピン人に統一してしまっていることだ。見た目がもっとばらついているか、あるいは日本人のみに統一されているかならば、ディスコミュニケーションが起こる場合の見た目との落差がもっと印象づけられたように思うからだ。もっとも、この映画の意図はもっと違ったところにあるのかもしれないが…。でも、劇中何度か示されるプロレスへのノスタルジーは、おそらく段取りというコミュニケーションへの憧憬なのではないかと思うのだった。それはコミュニケーション=映画とも置き換えられるかもしれない。