『クイール』

崔洋一監督新作。ロシア映画『こねこ』を思わせる丹念さに冒頭から引き込まれる感動作…といえば凡庸なのだが、従来の動物映画といって想像に上ってくるようなものとはちょっと違う。むしろ『刑務所の中』の監督らしい作品になっていて、プロデューサーが言ったという「崔洋一の"ディズニー映画"をみてみたい」は、万人受けするという意味においてであり、ディズニー映画のように動物が擬人化されることは決してない。この映画の中では、犬も人間も無生物(例えば、熊のぬいぐるみ)も同じ水準で描かれようとしているのだ。
クイールの誕生。母犬から誕生するラブラドール・レトリーバーの子犬5匹。その中の一匹の腹部には「鳥の形の黒い模様」があった。その誕生を喜んだ女(名取裕子)は、盲導犬訓練センターの多和田(椎名桔平)に子犬を盲導犬にしたいと電話する。多和田は血統が大事だと、それを断るが女はそんなことおかまいなし。「多和田さん…多和田さん…多和田さん」と3度ほど電話の言葉が反復されるのだった。それにおれた多和田は1匹を盲導犬にすることを了承する。
子犬はパピーウォーカー*1の夫婦(香川照之寺島しのぶ)の下に預けられクイールという名を与えられる。ここでの生活はほとんど日常描写に限られ、無邪気に遊ぶクイールと愛情を注ぐパピーウォーカーがひとつの画面に密接におさめられ、クイールは素晴らしい演技を披露している。この映画の細部を眺めるだけで、通常の5倍フィルムを回したという崔洋一の言葉は、十分に意義があったということが説得力をもつだろう。
1年後。盲導犬訓練センターの車に乗せられて、パピーウォーカーの下を去ってゆくクイール。並んで佇むパピーウォーカーからしだいに遠ざかってゆく。遠景で表情が見えなくなると立ちつくす人間と見つめ続ける犬との間にどんな差異があるだろうか。
盲導犬訓練センターはまるで『刑務所の中』のように描かれる。クイールは決して優秀な盲導犬ではなく、訓練士を演じる椎名桔平が発見したクイールの「能力」とはただ待つことなのである。『クイール』に徹底される描写は、待つこと、見つめること、寄り添うことであり、特別な能力など持とうはずがない盲導犬クイールに穿たれた紋章=黒い鳥の模様はその点で逆説的である。映画の冒頭を振り返ると、5匹の子犬の中からなぜクイールが選ばれたかというと、その紋章のためではなくて、他の子犬が飼い主の呼びかけにすぐに反応してしまったのに対して、クイールだけが飼い主の目を見つめ続けていたからだった。すでに最初から「見つめること」の重要性が描かれていたのだ。
その後、クイールは渡辺満という盲目の頑固者(小林薫)と出会い、本格的に盲導犬として活躍するわけであるが、訓練センターで徹底的に「待つこと」「見つめること」「寄り添うこと」を教えられたクイールは、当初まったく盲導犬を信頼しようとしなかったその頑固者に「待つこと」「見つめること」「寄り添うこと」の大切さを伝えてしまうのである。いや、それを「教える」という言葉や「伝える」という言葉で言い表してしまうのは不適切かもしれない。例えば、訓練センターで二人三脚の訓練を始めた渡辺とクイールは酒を買うために夜道を無断外出するくだりがあるのだけど、それは間違えてジュースばかり買ってしまう渡辺が、クイールに判断をあおぐと偶然出たくしゃみを合図と受け取って、お目当てのビールにありつけるという描写で、ここに渡辺とクイールの関係性が集約されるとぼくには思えた。
感動を誘うために人間と動物の心の交流をナイーブに描こうとする「動物映画」とは違って、ここでは盲目の頑固者と盲導犬の間にはコミュニケーションなど成り立っていないのだ。クイールは訓練されたとおりに「待つこと」「見つめること」「寄り添うこと」を実践しているだけで、最初は抵抗していた渡辺がその振る舞いに対して肯定するのは表層的な身振りにおいてにすぎないのだ。渡辺も訓練士に教えられたとおりぎこちないやり方でクイールに愛情を示すスキンシップを行っているにすぎない。
けれど、「表層」というのは必ずしも否定的ではない。むしろそのような表層の身振りを積み重ねることで渡辺とクイールは分かちがたく結ばれてしまうのであり、渡辺が病をおして死ぬ前にクイールと30メートル歩いたのは、ただ歩くことがすなわち「寄り添うこと」であり、そうやって絆を表層=映像的に示したのである。その場面に続いて、クイールは死んだ渡辺をただ見つめることで絆を反復する。
ラスト近くに椎名桔平クイールに対して「お前さぁ…普通だったけど…最高の普通だよ」と声をかけ、クイールはその後も特別な生涯を送ることなく、数年先に再びパピーウォーカーの下に戻ってささやかに一生を終える。死の床に伏せる前に倒れる場面は崔洋一映画の定番ともいえるスローが飛び出すかと思いきや、ハイスピード撮影だったので意外な感じもしたけど、少々残酷なまでに細部を露呈させるハイスピードの方がこの映画には必然だったような気もした。というのも、普通の犬としてクイールを描こうとする手つきは一貫としていて、なんせ途中でうんこをする場面までまともに撮影していたりするのだった。
「人間描写の深みに定評がある」と言われる崔洋一だが、『刑務所の中』に続いて表層的な身振りをキーとして、人間も動物も同じ水準にしてしまったことが豊かな世界へとつながっている。一番最後のカットは写真の中のクイールが動き出すというものだが、人間や動物だけでなく途中で出てくるぬいぐるみなども同じ水準に入れられるかもしれない。『クイール』は傑作だ。

*1:ボランティアで犬の育て親となる人のこと。