蘇る大殺戮

板橋ワーナーマイカルで『テキサス・チェーンソー』が封切られ、雪の中をさっそく観に行った。『ドラえもん』と『ロード・オブ・ザ・リング』の家族連れ*1をかき分けて…そんな中、『テキサス・チェーンソー』を観る客は『悪魔のいけにえ』の再体験を望む物好きとまだ熱に浮かされたカップルぐらいだったので、ほぼ中央の特等席を陣取ることができた。
悪魔のいけにえ』を心から信奉する者にとってこの映画は濃度を薄められたコピーだと正直言いきってしまいたいが、見所がまったくないわけじゃない。
映画初監督となるCM&ミュージック・ビデオ系のマーカス・ニスペル*2と同系列のマイケル・ベイ製作なので、色あせたフィルムの質感や対象の細部を微分的な短いカットで繋いでいることに彼らの畑の特質が発揮されているが、これがファンダメンタル・ホラーの魅力を大きく削いでいてどうにも良くない。もちろん、トビー・フーパーの『悪魔のいけにえ』とまったく違ったものを作る意図で、ファンダメンタル・ホラー的要素を削ぎ落とすのは構わないと思うが、なにせ冒頭と結末に実際の事件を疑似ドキュメンタリー的に見せる部分がくっつけられているので、その部分に反映されたファンダメンタル・ホラー的要素との間に齟齬を生じさせているのだ。
結末など、『スナッフ』さながらにアクシデントによってフィルムが切れた感じまで表現していて、現実と虚構の境界線を侵犯することによって恐怖を駆り立てるファンダメンタル・ホラーを再現しようとしているのは確かなのだ。けれども、『テキサス・チェーンソー』を実際に観ていると、妙に「物語化」しようとする傾向が見られるし、レザーフェイスの殺人場面に叙情を描こうとしていたりもする。これは作り手の畑が関係しているのかもしれないが、この作品の魅力に水をさしているのは間違いない。例えば、殺人場面の叙情というのは、まるで洗剤のCMのように、白いシーツがばたばたはためいている中で青年が脚をぶった切られた後の静けさだったり、ひとりの女がチェーンソーで切り裂かれる時の羽毛(のようなもの)の乱舞だったりする。
しかし、単に『悪魔のいけにえ』のリメイクとして、その魅力を削いでいるだけではない部分もある。確か『悪魔のいけにえ』の場合は、狂気の一家に女が混じっていなかったと思うが、『テキサス・チェーンソー』では女の比重が結構大きい。いや、女というよりは母の比重だろう。レザーフェイスたちの母や赤ん坊をあやす母が登場し、狂気の一家には総勢3名(赤ん坊が女だったら4名)の女が含まれていることになる。オリジナルの「じいさま」はほとんど傀儡として描かれ、頭のおかしい兄弟の存在感こそが強かったはずである。そういうわけで「家族」の描写を比較すると、『テキサス・チェーンソー』がオリジナルとは違った趣向を凝らそうとしているのが分かる。果たしてそれは何なのか?
ぼくが感じたのは、先ほどの「物語化」という部分と関係しているのだが、「家族」描写の大きな変化は、オリジナルの不条理さをリメイクの条理によって乗り越えようとする意識である。
笑いと恐怖が表裏一体なのは、そこに落差が生じているからであるが、『悪魔のいけにえ』の落差は、不条理さとして、あるいは唐突さとして、類い希なる秀逸さによって生みだされていた。だから、あの映画は笑われる一方で恐怖された。『テキサス・チェーンソー』の疑似ドキュメンタリー的な部分はさておき、メインストーリーにはひとりの少女が登場する。事件の核に関わるかのように描写されるその少女は『悪魔のいけにえ』にはもちろん登場しないわけだが、まるで幽霊のように*3現れて、唐突に自殺してしまう少女をめぐって、中途半端にではあるが、その過去に何かがあったことが(写真の発見などによって)示唆される描写がある。しかし、その中途半端さというのもある意味では理解できて、おそらく少女の物語をある水準以上に描いてしまうと、『テキサス・チェーンソー』はむしろ『羊たちの沈黙』のようなサイコものとなってしまって、『悪魔のいけにえ』のもっとも衝撃的な部分をないがしろにしてしまうことになっただろう。だから、『テキサス・チェーンソー』の「物語化」というのはぎりぎりの線だったのだと思う。
だが、なぜそんなことをやったのかと考えるとぼくには分からない。ともかく、そんなおかしなことをやっているから『テキサス・チェーンソー』はおかしな映画になっているわけだ。ショッカー・ホラー的な要素は多分にあるので、普通にホラーが好きな人はある程度満足できるかもしれない。また、レザーフェイスの丹念な「作業」が描写されていて、それはそれで面白かったりする。まあ、とにかくそんな感じだ。ああ、『ドッグヴィル』に間に合わなくなる!

*1:回によってはsold outが出ているほどの盛況ぶりだった。

*2:パンフレットを読んでいると、リドリー・スコットを尊敬しているという発言も見られた。

*3:まるで『ゴシカ』に出てくる少女の幽霊のようである。