『ドッグヴィル』雑感

バイトのない長い一日。早起きしたこともあって、へとへとになったので今日(といってもすでに21日になってしまったが…)のところは一言だけに。反米とニコール・キッドマンへのサディズムという先入観ばかりが先行していたけど、これは極限まで抽象化された人間そのものへの視線で描かれた映画なのかもしれない。月の光に照らされたドッグヴィルの人々が急に違って見えるグレースの視線のように、人間なんて状況の変化でどうにでもなってしまうのだ。最後に小さな町(ヴィル ville)が消え、ドッグだけが残ってしまうのが示唆的だが、町という状況を与えられて生きていたのは犬と変わらぬ動物にすぎなかったわけだ。この映画で最低限与えられていた状況(白線で区切られた居住空間、ライティング、自然音…)さえなければ、言葉通りの意味で人間も動物も無生物も何ら違わない存在になってしまうだろう。