2本のビデオ

『女番長 野良猫ロック』と『曖昧な未来、黒沢清』を観る。今日までのレンタルだったので、崔洋一特集を諦めてビデオを観ることにした。和田アキ子主演の『女番長 野良猫ロック』は良い出来とは言いがたい。長谷部安春監督作品だが、やはり脚本がマズかったのだろうか。『マシン・アニマル』同様のだるいチェイスシーンやまどろっこしい展開。一部、暴力&エロのシーンに迫力はあるが、和田アキ子の演技は下手だ。それだけに、和田アキ子の歌唱シーンが素晴らしすぎるというギャップは楽しめる。梶芽衣子の存在感が弱すぎるというのも、もったいない。
『曖昧な未来、黒沢清』。『アカルイミライ』と並映していた時に観に行けなかった藤井謙二郎によるドキュメンタリー。とはいっても、作中でインタビューを受ける黒沢清自身が、フィクションとドキュメンタリーの違いなんてどう考えてもない、と語っているように、ひとつの映画として観るべきだろう。心理ではなく肉体のドラマ。理解ではなくてその不可能。特定の怒りではなくて不特定の怒り。そして曖昧さ。現代の東京という時空間に依拠して映画を撮る上で、ハリウッド映画のような分かりやすい登場人物を描くことなどできないと語る黒沢清は、映画を完全な虚構としてではなく、何らかの現実を切り取ったものとして考えている。『ダーティハリー』や『北国の帝王』という映画の名を出しながら語られるのは、その映画のリアルな部分であって、虚構的な部分ではない。
映画を作る際のリファレンスということについて改めて考えなければと思った。