2つの、時代の境目

ニコラス・レイ監督『キング・オブ・キングス』。超大作。DVDで観る70ミリのきめ細かさは圧巻。しかし、キリストはどうみても悪人に見えてしまう。『パッション』と比較すれば、『キング・オブ・キングス』のほぼラスト30〜40分が対応しているようだが、人間の描かれ方は当然ながらまったく違っている。サロメ役のブリジット・ベズレンはとにかく魅惑的だ。
中田秀夫監督『サディスティック&マゾヒスティック』は、ロマンポルノを支えた小沼勝監督のドキュメンタリー。役者やスタッフに対する小沼監督のサディスティックなまでの執拗さに迫る。谷ナオミや風祭ゆきや片桐夕子などの女優、脚本家の荒井晴彦、プロデューサーやカメラマン、エディター、助監督…と多彩なインタビューで「動物的な眼」を持つ小沼勝像を浮き彫りにしていく。
このドキュメンタリーが印象的なのは、撮影所へのオマージュとも言える映画『ラストシーン』を撮った中田秀夫が、小沼勝というロマンポルノを初期から文字通り最後まで支え続けた*1人物を媒介して、70、80年代の最後の撮影所システムの残響を聞かせてくれるからである。
例えば、小沼勝はあるエピソードを持ち出す。それは女優の腋毛を撮ろうとした時のことだ。小沼自身はアップで腋毛を撮ることで健康的なイメージを出そうと思っていたのだが、その際カメラマンが腋毛に引いてしまったのか撮りたがらないそぶりを見せた。すると、照明がそれを察したのか、ライティングを弱めたのだった。その結果、独特の陰影がいやらしい絵を作った。小沼勝はそのエピソードを回想して、それらほぼ一瞬の出来事を、みながプロであるがゆえにありえた時代の象徴として語るのだ。
小沼の横で頷きながら耳を傾ける谷ナオミは、小沼と久しぶりの再会を果たして、一緒に『生贄夫人』を鑑賞する。『生贄夫人』は、当時としては過激な(今でもアダルトビデオを除いたピンク映画においては過激に違いないが…)「黄金」のカットが挿入されている。そのエピソードを思い出深げに語る谷ナオミ、そして美人が「太いもの」を出すという絵を欲した小沼勝は、日活撮影所の食堂でカレーを食べているのだった。谷ナオミについては、やはり小沼自身も彼女を、それ自体で虚構性をまとってしまう特異な女優として考えていたようだった。
荒井晴彦が言うように、小沼勝はとにかく観客の視線から「絵」を欲した。それは脚本家への過酷な注文という形にもなり、当時は喧嘩が絶えなかったという。小沼独特のイメージショットは、彼の映画観にも関係しているだろう。もっとも、このドキュメンタリーでは小沼自身の生い立ちにも触れるが、それほど詳細ではない。いずれ、彼の評伝なり自伝なりを読んでみたいものである。

*1:神代辰巳田中登とは違って、小沼勝はその当時ロマンポルノ以外の映画を1作も撮らなかった。