悲観を受けとめる
『InterCommunication』誌上の青山真治と蓮實重彦の対談「批評が消えてゆく世界の中で」を読み、やはり精進のためには停滞などできないと思い知らされ、そうはいっても「映画」をつかまえるまでにはまだまだ長い道のりだと改めて実感する。しかし、蓮實重彦が指摘しているように、今やDVDやレトロスペクティブなどを通して観ることができるさまざまな映画は、もはや70年代半ばぐらいの体験とはまったく違っていて、蓮實重彦言うところのその「怖さ」はぼくたちにとってあまりに遠すぎるものなのだ。70年代にひとつの立脚点を見出す黒沢清や青山真治のように、ぼくたちの世代も何らかの立脚点が必要かもしれない。もちろん、それでも映画史を忘却してよいということにはならないが…