共同事業の哲学

中原昌也の「エーガ界に捧ぐ」で『デイ・アフター・トゥモロー』に付随して紹介されたビデオだったからというわけではないけど、気まぐれに『フィッツカラルド』を観る。
後半の、船を山越えさせる場面からふいに連想されたのは、ロシアコスミズムの代表格フョードロフの「共同事業」だった。ああいった内なる神という志向性はロシアに馴染み深い。ヘルツォークに関して言えば、『神に選ばれし無敵の男』でも似たような誇大妄想的な神に接近しているように思える。ロシア性とある種のドイツ性について妄想してしまった。ヘルツォーク映画は…なんというか…嫌いではないけど、何を考えたのか整理しづらい。ニュー・ジャーマンシネマはもっと体系的に観なければならないと思う。
まだレンタル期限中だったのでギリアムの『バロン』を再びざっと観るが、これは観るたびに傑作だと思える。ファンタジーの伝統ならびに、映画の物語のあり方をうまくやってのけている。ティム・バートンの新作『ビッグ・フィッシュ』にも通じるものがある。ギリアムとバートンの作品を遡行しようと思っている今日この頃である。古本屋でフィルムアート社の『バートン・オン・バートン』を最近買った。