大澤真幸を見に行く@ジュンク堂

ほぼ同じ時刻に、同じ池袋でしかもそう距離も離れていないところで、一方では宮台真司北田暁大がイベントをやっていたらしいが、ぼくはもう一方の大澤真幸ジュンク堂トークセッションの方に行っきた。大澤真幸を生で見るのは初めてだったというミーハーな気分も手伝っているが…。
宗教の話、特にキリスト教の原罪をめぐる現代的な解釈とその可能性というのが主題だったように思うが、ぼくはちょっと前の大澤真幸の議論からなんとなく飛躍があるように思えた。最近書いたものを読んでなかったかもしれないけど、「愛」についての二元論を持ち出す辺りに、以前の「恥」についての議論から後退を感じたのかもしれない。その二元論というのは、ポジティブな特徴<ゆえに>人を愛する」ということと「ネガティヴな特徴<にもかかわらず>人を愛する」ということ、というものである。その後、大澤真幸的に弁証法をというよりは、後者の「ネガティヴな特徴<にもかかわらず>人を愛する」というあり方にこそ普遍的な愛への可能性を見るという方向に議論を進め、キリスト教がなにゆえにキリストを殺す(複雑な)物語を必要としたのかを読み解く、だいたいそんな話であった。まあその後には、その議論をふまえつつオウム=アレフへの提言をするのだがそれはおまけみたいなものだった。
ともかく、ぼく自身にはなんとなくその議論が後退というか、現在の世界情勢をふまえて考える方向としてはちょっと違うんじゃないかなと思えたわけだ。今後、大澤真幸も新刊本を準備しているらしいので(確かナショナリズムについての本だったかな…)、その時にはもっと精緻な議論を読めるだろうから、ぼくの感じたことはまったく的外れに終わるかもしれないが、それでもこうして愛をめぐって、それも根幹的な愛をめぐって考察がなされ、そこから開かれた世界の可能性が探られるということに、もしかしたら昨今の「純愛ブーム」もどこかでかかわっているのではないかと思えたことも確かだ。それについてはジュンク堂の時間もなくて何も触れられなかったし、質問する時間もなかったので残念だったが…。
それにしても「純愛ブーム」のすごいこと。肯定的にであれ否定的にであれ、いろいろなところで語られている。今週も『SPA!』の素人座談会やら『週刊文春』の宮崎哲弥の書評やら『正論』にも関連するような文章があったような…宮崎哲弥の書評を読んで、そういえば2、3年前に大平健の『純愛時代』という新書があったのを思い出した。大平健の本の患者の「小さな物語」にはなぜか惹かれてしまうので、ぼくもずっとそれまでの本を読んでいてこの『純愛時代』もそうしたジャンルの本だったのでもちろん読んだ。ジュンク堂で久しぶりに手にしてみて思ったのは、これはまさに今の「純愛ブーム」を予見した本だということだった。
あと、ついでにスーフリのルポタージュを買ってしまったが、そのことについてはまた読んでからにしよう。