罪の継承

今月は何と言っても28日に迫った『ミリオンダラー・ベイビー』の封切りこそ、最も待ち望んでいることなのだが、その前に原作の日本語訳を読んでみた。

ミリオンダラー・ベイビー (ハヤカワ文庫NV)

ミリオンダラー・ベイビー (ハヤカワ文庫NV)

これは表題の作品を含む短編集なのだが、訳者のあとがきによると、映画は表題作に短編「凍らせた水」のエピソードを盛り込んだものらしい。どの作品もボクシングにかかわる、プロフェッショナルかつ老いても情熱を絶やさぬ者の話であり、そこには信仰とでも言うべき崇高な感情が含まれている。流れのままに転がっていく展開の描写が簡潔だが、ふいに人間の深淵へと向かっていく辺りは恐ろしくもある。
表題作「ミリオンダラー・ベイビー」は特にすごい。これはほとんどイーストウッドに用意されたかのような物語である。家族を失っているという傷のみならず、実際に身体に傷を刻んでいる伝説的なボクシングトレーナーとしてのフランクはイーストウッドが好みそうな人物像だ。映画は語り手など脚色している部分が少なからずあるらしいが、おそらくネタバレになるので内容には細かく触れないが、よく指摘されているように過去のイーストウッド映画にあった娘のような女との関係をめぐる物語の反復であるというのはその通りだろう。しかし、さらに過去の作品から大きな主題を継承していると思える箇所がある。

フランキーにとってはここは聖なる場所であり、それから慰めを受けつつ、己の苦しみが、十字架にかけられた神の傷ついた身体の反映であることを心得ていた。

こういった箇所を見ると、やはり『ミスティック・リバー』の後の映画であることを意識させられる。神なき後の世界に降り立ったダーティハリーは身体にひたすら傷を受けながらやがて亡霊となり、老いてもなお傷を負い続け、何度かフィルムから姿を消(フィルムに同化?)し、そして再び降臨する時、どんな姿を見せてくれるのだろうか?