手鏡に映ったものは何だったのか?

すっかり風化しかけていた感があったが、「SPA!」の植草一秀大川総裁の対談を読んであの事件まだ継続しているのを知った。その対談での植草一秀の言い分や支援サイト(http://yuutama.exblog.jp/)などを見るにつけて冤罪濃厚、もしくは有罪とは断定できないという方がありえそうに思える。権力側のひどい告発や立証は、松文館裁判などにおいても明らかだったし、本当に恣意的、感情的、一方的である。警察とメディアのスクラムは「手鏡教授」などのフレーズによって、あっという間に都合の良いイメージを流布できる。一度イメージの糸口をつかめば、そこから次々と糸を引っぱるわけだ。過去の痴漢事件やら家にあるアダルトビデオやら……。
当時、ぼくは朝日新聞社内のもっとも辺境にあった朝日ニュースターの記者会見班でバイト*1していたが、カメラバイトをするぼくたちは、定年を過ぎて流れてきた元記者やその他の部署の人たちと一緒に行動することが多いのだが、そういった人たちはまっ先にスポーツ新聞で見た植草事件に喜んでいた。要するにほど良い刺激が欲しいのだ。ぼくが親しかった人はそういったネタとストリップを等価のものとして楽しんでいたし、そのいい加減な職場の中で報道への意識が最も高かったのは派遣社員の事務の女性だった。
しかし、それは瑣末なことだ。鈴木邦男が『公安警察の手口』で明かす通り、警察が己の点数のためにやることといったら呆れ返るほどであり、しかも「秋葉原での職務質問」のように陰湿で精神的な被害も大きい。ぼくも上京間もない大学1年の時、泥酔して終電を5駅ほど乗り越し、辺りにあったボロボロの自転車を盗難したら見事に連行されたことがある。嘘を積み重ねたせいもあって、パトカーで盗難現場に連れていかれ、警察署で絞られ、親に電話され、およそ8時間ほど拘束されたが、これから何かあったら引きあいに出されたりするのだろうか?
昔知り合った医者でゲイで露出が趣味の人は、ちょっと離れた街でコンビニ露出とかを楽しんでいたらしいのだが、ある時、道端で警察に職務質問され、派出所に連れていかれたことを話してくれたことがある。すぐにコートの下に何も着ていないことがばれてその時出没していた痴漢の嫌疑がかけられたので、自分がゲイであること、仲間と露出写真を撮るのが趣味であることを話したという。すると、警察に車の中の持ち物を全部調べられ、侮辱されながら大人のおもちゃなどをひとつひとつ調べられ、逮捕こそされなかったが、プライベートな問題にまで介入されたのだった。
もちろん警察だけの問題ではない。日本のメディアのありように慣れ親しんだ日本人は、そういったイメージをワイドショー的な感性で受けとるすべに長けているのではないか。誰もが、当事者にならない限り、やじ馬的な感性はどこかで人を無媒介的に捉えるのだ。ブログにおける発信者としての意識をもつことは重要だが、大メディアに流されたニュースのリンクを貼り、ただ垂れ流すのはそういった感性の助長というか現状維持にしか寄与しない。たとえ無駄な文言をつらつらと書き連ねて訳の分からないことを書くにしても、何らかの媒介性をそこに介入させるということは大事なのではないか、と自覚した次第である。

*1:HPで今もバイト募集しているようです。首相官邸の記者会見などにひとりで行けたりしてけっこうやりがいがあるのでマスコミ志望の学生などにオススメ。石原都知事会見などは特に活気がある。