椎名へきるの名刺*1

週刊新潮」だったか「週刊文春」だったか忘れたけど、小林“ハーレム”王子が椎名へきるの名刺を使って女を騙そうとしたことといい、職業を医者ばかりか声優と言って偽る手段といい、拳法か何かで身体を鍛えていたことといい、やはり精神遍歴に自分と似たようなところがないわけでないのに、同じ世代として、財力がそこまで人を変えるのかということにどうも理解が及ばない。夫婦関係がうまくいっていない母が息子を囲うということもかかわっていようが、それは過剰ではあるが、そんなに特殊な問題ではないだろう。
でも、彼がどのような嗜好の持ち主かは本当のところ分からないが、ひとつぼく自身と似ているな、と思えるところがあった。
それが世代の特徴なのかどうか分からないし、さんざんこの日記でもこだわって書いていることであるが、つまりひとことで言えば、現実と虚構のとらえ方である。それは現実と虚構を混同するといった、メディアで使い古されたものとは少々違っていて、むしろあえて現実と虚構の地平を並べるといった感覚に近い。オタクがある対象に耽溺するには、それ相応の(無意識の)訓練が必要であるとすれば、現実もまたそうだと考えるような感性。年輩の無知な人たちは、こういった事件のたびに現実と虚構を混同しているみたいな批判をするが、そうではなく、現実もまた虚構のひとつという感性こそがそこにあるように思える。これはたとえば高橋洋塩田明彦が映画もまたもうひとつの現実である、と考える視点と表裏一体である。だから、アニメや漫画やゲームなどの虚構であろうが、一般的にそういったものよりもやや現実寄りに考えられている映画であろうが、それらもまた現実であり、現実は虚構でもあるのだ。
幼い頃から何かに耽溺してきた人は少なからずそのような感性を無意識に身につけるのではないか? 小林“ハーレム”王子は確かにエロゲーに耽溺し、まさに彼が耽溺したゲームジャンルのような犯行を実演したのかもしれない。そして一部の記事を読む限り被害者の中には当初、「ご主人様」と呼ぶプレイにノッた人たちもいるのだろう。センセーショナルな報道によって小林“ハーレム”王子の人物像はおもしろおかしく強調されているが、実のところ彼の行動はそれほど異常とは思えない。
ぼく自身、中学からの虚構メディア遍歴が、現実へのコミットの仕方に今も大きく影響しているのを自覚していて、むしろあえて虚構で訓練された視点を現実へも適用している。アニメやゲームにおけるトランスセクシャルな表現への耽溺が、やがて実写トランスセクシャルなエロ本やビデオにつながり、現実のニューハーフと接触するまでに至る過程は、無意識の条件づけというより、あえて実践する部分が少なからずあったように思う。むしろ、どんなつまらないものや嫌悪感を覚えるものも、ある種の訓練を経ることでそれに耽溺することができる回路を形成しうるとさえ思う。最初はお手軽な虚構メディアから始まるわけだが、よりラディカルになってゆくと、(当人が虚構と等価であると考える)現実への実践へと向かう。敷居は高いが、敷居が高いゆえに耽溺の度合も増すに違いない。
虚構への耽溺の段階で留まるのはむしろ社会的な人たちであり、様々な萌えの対象に耽溺し、あえて敷居の高い現実に向かわなくて済むのはそれなりの社会性なのではないか。そうではなくて、自らの耽溺の回路を洗練させ、虚構メディアだけでなく現実にも突き抜けて行こうとする感性は脱社会的なのだろう。もちろん宮台タームを使うのにも訳がある。何よりこういった「作法」は、宮台真司から発せられるメタ・メッセージとしてぼくにとって親しいものだったからだ。
システム理論の中身は知らずとも、そのような思考回路があらゆる対象に適用でき、なおかつそれをあらゆる対象にあざやかに実践していく様を見せられては、多感な時期に影響を受けないはずがない。宮台が学問においてもサブカルにおいてもエロにおいても身体においても生活*1においても実践者であったことは、メタ・メッセージとして強く働いたと考える。だから、当時言われたようなミニミニ宮台や小林よしのりの『戦争論』によって吹き上がった者や小林“ハーレム”王子はどこか似ている。「あえて」の部分があろうとなかろうと、何らかの虚構に耽溺し、それを現実へも適用するという限りにおいて。そしてそれは(無意識の)訓練の結果なのだ。
今なおそれを叫ぶ人が多いのか少ないのかは措くとして、現実と虚構を混同している、といった批判が意味をもたないのは、ぼくを含めつまらぬ現実よりも虚構に耽溺してきた人は、その虚構こそが己の現実であり、現実がひとつの虚構としてあまり重視されていないからだ。現実はローカルなものなのだ。だから、メディアが好んで取り上げる小林“ハーレム”王子の趣味嗜好の部分というのは、おそらく3人に1人ぐらいからは出てくるホコリ程度のことだろう。あんな報道の吊るし上げをくらえば、誰だって似たようなことを考えていたり、同意の下でプレイとしてやっていたりするのだから。
そうしてみると、彼は単に相手の女性との交渉力、コミュニケーション力がなかっただけであり、その背景として、豊富な財力と母親の過剰な庇護が彼のそういった能力を育てなかっただけ、というような凡庸な問題と考えられるのかもしれない。被害者を悪者にする気はないけど、そんな王子の容姿に惹かれて途中までは誘いに応じてしまう女性たちにもコミュニケーション力が足りなかったのかもしれない。そして、コミュニケーション力の不足などは常々自分たちに跳ね返ってくる問題にすぎないのだ。

*1:絆を維持するための事実婚など。今はどうなのか知らないが……。