運命について考えた

昔『私の運命』というドラマがあったのをふと思い出した。坂井真紀と東幹久が主演していたはず。それとこれとは関係ない。これとは↓のことだ。

私という運命について

私という運命について

これは本当にすごい小説だと思う。ある女性の日常と生活が、それこそ(良質の)TVドラマのように展開されながらも、ふと世界の淵が垣間見え、その体験を抱えつつ、この十年という時代を背景に、どう生きるかということを見つめながら、「哲学」に向かわず、あくまで女性の「生」というレベルで綴られているのだから。通勤電車で読んでいるのだが、時折、肯定的でも否定的でもなく無性に死にたくなった。主人公の女性に感情移入する部分もありながら、どこか「冷め」を強いられつつ、それでも読ませるような磁場が生じてしまう。
運命……そういう考え方が常々どこかで流行ったり廃れたりしているけれど、この小説の中で主人公が直面し、他の登場人物が語ったり受け入れたりする「運命」は、ひとつの観念に収束せず、人を捕えながら再びすり抜け、また新たに捕えなおし……といった様々な「生」の中で様々に変転するものであり、そのような無形のものなのに、なぜか強く人を穿ち、確信を呼び起こしたりしてしまうのである。
まだすべてを読んだわけではない。しかし、およそ半分以上を読んだ今、ぼくは仕事をやめることを決意した。いつか辞めようと思っていたが、すぐにでもやめるべきだと確信した。とはいっても、引き継ぎなどの現実的問題を考えて今月までは今の職場で働くことになるだろう。とにかく、自分の中で揺るぎない決意が生まれたことは重要だった。この小説に観念的に促されたわけではなく、あくまでどう生きるかという観点からそうするべきだと決意した。
すべて読み終えたらもうちょっと具体的に考えてみたいと思う。