動体視力の2要素

相変わらず佐川急便の夜勤バイトという苦行で生活のほとんどを染め上げているわけだが、今週は面接時に確保した休みがあるため、週3日の勤務で何とか身体を休めることができる。といっても他のバイトやら用事やらをやっているわけだが、佐川バイトの過酷さを味わった後はいかなる労役も無に等しく思える。これは唯一の収穫だろう。
今週は風邪の悪化による発熱もあったので本当に心身のピークだった。来週からほぼ週6で年末までフル稼働しなければならない。せっかくこの日記を再び始めようとしているのに、そうなってしまえばmixiをやるだけで精一杯だろう。(以前は一定の距離を置いていたけど、最近ではmixiが癒しになってしまっているのが否定できない。)
つらかった今週の勤務では、初めて「荷引き」の現場をやらされた。これは、まずトラックから荷物を下ろす「荷下ろし」に連なる作業である。大量に流れてくる荷物の流れの両側に一定間隔で人物がスタンバイしている。ひとりひとりに担当が振り分けられている。ぼくは「小川町1、2、3丁目の奇数番地」「猿楽町2丁目ほか」「猿楽町1丁目と神保町1丁目偶数番地ほか」という3つの担当を言い渡され、常に流れてくる荷物から担当の荷物を見分け、各レーンに荷を引かなければならないのである。
この作業は壮絶だった。まず荷物に付いているラベルから住所を判断するのが大変だ。タイヤとか何かの部品となる金属とか洗濯機とか変則的な荷物が流れてくると、そのラベルの場所を瞬時に発見するのが大変なのだ。またひっきりなしに次の荷物が、時には同時にいくつも流れてくるためにひとつの荷物の判別にかけられる時間は数秒でしかない。そしてこの作業にようやく慣れてきたら、今度は荷を引けるようになるのだが、見た目以上にとてつもなく重い荷物だったりワレモノなどが流れたりもするので、一定のリズムが保てず、次の荷物に対応できなくなってしまう。そして常に腰を中心に身体を75度ぐらいに折り曲げているため、眼と腰への疲労が尋常じゃない。この作業はだいたい連続4〜5時間ほど続くのだ。初めてだったために何度もミスをしてしまい、ぼくの後ろで作業していたベテランのペルー人が何度も助けてくれた。確かにやりがいのある仕事ではあるので、途中で風邪の苦しみを忘れてしまうほどのめり込んでしまった。
この作業をしていてふと動体視力というものについて考えた。流れてくる荷物のラベルを瞬時に見るのには、視覚的な情報処理能力がある程度要求される。この能力は慣れもあるが、かなり個人差があると思う。例えば、パチスロで目押しの得意な人と苦手な人がいるのと一緒だ。さらに細かく見ると、たぶん「見えた」情報を次の動作に移す時に何らかの能力が必要とされているように思う。こちらは慣れと訓練の要素がかなり大きいのではないか。「小川町1、2、3丁目の奇数番地」という情報を処理したらその荷をしかるべきレールに引く。これは集中と反復によって1日だけでもかなりスピードアップできた。それに関連してイチローが言っていた、すれ違う車のナンバープレートの数字を足し算するみたいな訓練もあるに違いない。つまり、アニメの1フレームがはっきり見えるような動体視力とイチローが剛速球や変化球に対応できるというような動体視力は違うということだ。
ぼくはかつて速読研究会なるものに通っていた時期があってそれなりの効果もあったのだが、その時しきりに言われていたのは右脳の処理能力をあげるために「漫然と」眺めるということだった。それぞれのメソッドによって指導法や効果は違うとは思うが、ぼくの通っていたところはそういう所だった。だから雑談してラジオを聴きながら訓練と呼べない訓練をしていた。そして、効果は確かにあったけど、やめてからしだいに元の速度に戻っていった。
それが良いのか悪いのかは別として、おそらくこの能力はセンスに大きくかかわるものであるから、ぼくは先ほどの話における後者のイチロー的な訓練の方が有効ではないかと思う。処理速度を高めることで新たに見えてくるものもあるだろうし、凡庸な人間にとって効果的な訓練だと思う。そんなことを「荷引き」しながら考えていた。非人間的な労働におけるささやかな抵抗として。結果的には会社を助けているに過ぎないが、ただ身果てるまでこき使われるだけでなく、何か収穫を得たいという一心なのだ。