ピンクの迷宮

tido2006-04-29

『せつなく求めて 人妻編』はDVDにて。雰囲気で魅せる映画。緑に色づいた回想シーンがやんわりと挿入される感じが心地良く、近親相姦の物語、トラウマからの再生という物語のことより、「せつなさ」を醸成する語り口がこの映画の肝なのだと思った。この語り口でやられたらどんな物語も好きになってしまうのではないかと思えるほどである。
公開初日『ブロークン・フラワーズ』。エチオピア音楽(?)の心地良さとは逆に、ビル・マーレイ演じる男は常に居心地の悪さと共に存在している。おせっかいな隣人のウィンストンと共にいる時はもちろん、差出人不明のピンクの手紙を探る旅に赴き、かつての恋人たちのもとを訪れる時も、移動中の飛行機の中でも、常に心地良さとは無縁の佇まいである。
しかし、かつての恋人のひとりを泣かせてしまい、たちの悪い男にボコボコにされたあと訪れる花屋の女にやさしく傷の手当をされている時は少し心地良さそうだ。あるいは初対面の息子と勘違いして見知らぬ若者にサンドイッチを奢り、一緒に食べている時も。そんなささやかな心地良さはほんの一瞬しかない。ゆったりとしたジャームッシュ映画特有の時の流れの中で、日常とも非日常ともつかない奇妙な旅が終わっても、過去は迷宮入りのまま未来の道筋も明確にはならない。路上で息子と思われる人物を見失い、しばし立ち尽くすビル・マーレイ。曖昧な表情はそのままだ。道を戻るでもなく進でもなく、映画はそこで終わるのだった。
ある意味、等身大の映画なのだろう。ビル・マーレイが息子と勘違いした若者に「アドバイス」する内容は「過去にこだわるのでもなく、未来ばかり見るのでもなく、現在を生きろ」みたいなことだった。その現在がいかなるものかといえば、ビル・マーレイ演じる男のどうしようもなく曖昧な現在なのである。隣人ウィンストンのように些細なことに探偵気取りになって人生を楽しむこともできず、女に惚れ込むこともなく、漫然とテレビを眺め、音楽を聞き流し、おせっかいな隣人の言われるままに旅をする。そういう現在。
そうすると、冒頭のシーンが意味を帯びてくる。冒頭はポストに投函されたピンクの手紙が工場で機械に仕分けされ、郵便配達夫によって配達されるという文字通り「機械的な」流れを淡々と描いたものである。ピンクの手紙はまるでビル・マーレイそのままではないか。白い大量の手紙の中にピンク色の封筒が含まれているということと同様に、機械的に生きる人間の中にもささやかな悲喜を漂わせる中年過ぎの男がいるんだよ、というような視線。それが『ブロークン・フラワーズ』という映画。これをもっと引き離した視線で撮ればイオセリアーニの映画のようになるのだろうけど、引き離すわけでもなく馴れ馴れしくもなく寄り添うのはジム・ジャームッシュたるゆえんなのだろう。