人鏡

堤幸彦が監督ということで身構えてしまうところもないわけではなかったが、ちょっと前の『SPA!』のインタビューでもあったようにあまり「小細工」はやっていないそうなので、半信半疑で観に行った。何より自分でプロデューサーをやるぐらい本気の渡辺謙を見たかった。
扱われるのが若年性アルツハイマー病ということでだいたい話の向かうところが予想できてしまうわけだが、冒頭に2010年と示され、すでに病状が進行し切ったと思われる渡辺謙と寄り添う樋口可南子を目撃させることで、その後に描かれる前半の活力に溢れた主人公をやがてアルツハイマーになってしまうという視点で見ることになる。この残酷さが、及川光博の演じる若い医者からの告知で病院の屋上の縁で暴発する渡辺謙の心情に重ねられ、強く感情移入を誘うのだが、だからこそ、その後に発せられる及川の台詞も強く生きてくる。この辺りでぼくはすでにこの映画にどっぷり浸かってしまっていた。
前半はたまに堤幸彦のトリッキーな演出がある。微妙なところだ。視覚的には面白いかもしれないが、渡辺謙樋口可南子の芝居の持続を妨げるものになりかねない。しかし、物語が深刻さを帯びるにつれて、そういった演出は影をひそめ、カットはわりと多めだけど、芝居を正面から見せるようになってゆく。その流れは自然である。娘の結婚式の場面など、ロングショットでじっくり空気感をとらえて見せて欲しいと思いはしたが、渡辺謙樋口可南子の演技はそれをものともしない。いや、脇役でも水川あさみ渡辺えり子が良い。そんな役者たちの選出は堤幸彦ならではなのかもしれない。それに、前半の広告会社の描写、新しい企画の進行をかなりちゃんと描いている。これも堤幸彦ならではだろう。井坂聡の『g@me.』でも似たような描写があるが、(まあ実態はどんなもんか知らないけど)堤演出の方にリアリティを覚える。
原作を読んでないのでよく分からないが、人物描写が素晴らしいと思う。渡辺謙、そして樋口可南子との夫婦を中心的に描き、娘は結婚し、孫もできるのに、ほぼ完全に中心的物語から外されている。家族物語になったらちょっと嫌だなと思っていたので、主人公の内面的な物語、あるいは夫婦の物語を中心に据えるのは良かったと思う。また、この映画では人物間の「反射」が特徴になっている。まるで鏡のように。前述した渡辺謙及川光博の場面。そして、病状の進行と共に精神的な疲労に苛まれる夫婦の描写。会社での人間関係の描写もそうだ。感情や気分が跳ね返る。だから後ろ向きにならない。内省的にこもっていく前に必ず人物間の感情の反射が生まれ、主人公の決め台詞「ビシっと行こう」のように、前へ前へと物語は進んでゆく。ラストもまさにそんな感じだ。
この日記を読む人は気にしないと思うけど、ネタバレになることを一応断っておく。青春時代の思い出が詰まった山の中で一晩夜を明かす渡辺謙*1前の日には互いの精神的な疲労のすえ口喧嘩になり、思わず妻に暴力をふるってしまう。傷を負う樋口可南子に「病気のせいだから」と慰められつつも、渡辺謙の方が決定的な傷を負ってしまう。それが思い出の山(その前には自分で入ろうと老人ホームの下見もする)へ向わせた。大滝秀治の「生きてりゃいいんだ」という話に表情を緩める渡辺謙。胎児のような姿勢で眠る。山を下りる途中、樋口可南子が迎えに来ていた。すれ違う。妻を忘れてしまっていた。涙を堪えて声をかける樋口可南子。ここで思い出がフラッシュバックして悲しみに暮れるという方向へはいかない。一人歩き始めた渡辺謙が振り返り「ぼくは駅に向うんですが、一緒に行きますか?」と声をかける。堪えきれず涙を流す樋口可南子はすぐに再び顔を上げ、うなづく。渡辺謙の表情が緩む。2人は互いの名前を語る。そして前へと歩いてゆく。
一見、穏やかな流れの映画だが、短い台詞、小さな表情や動作の変化で示される感情の微細な反射が目まぐるしく行われているようにも見える。渡辺謙樋口可南子の存在。2人なしでは成立しない映画なのかもしれない。そう思わされた。

*1:SPA!』のインタビューによると、本当に一晩山で横になっていたそうだ。