犯罪者と警察あるいは社会との距離

花よりもなほ』、『初恋』と迷ったけど、予告編で気になっていたので『インサイド・マン』を観ることにする。冒頭のクレジットを見るまでスパイク・リーの映画だとは知らなかった。
映画の話の前に、この映画の前に流れた予告編が気になった。なんと連続で9.11の映画。その名も『ワ−ルド・トレード・センター』と『ユナイテッド93』である。先日観た『ポセイドン』において、カート・ラッセルの演じた人物設定に9.11の影を少しひねった形で確認したわけだが、この新作2本はかなりストレートに題材を扱っている。前者は消防士だか救助隊だかが命をかけて仕事をする物語を描いているようだ。後者はテロリストに乗っ取られた飛行機での乗客たちの勇敢な行動を描いた物語のようだ。ようやく国民にとっても消費できる題材になったということだろうか。それとも何かを鼓舞するための戦略か。
そんなことを気にしながら『インサイド・マン』を観た。たっぷりと銀行強盗劇を描いていてなかなか飽きさせない内容だった。とはいえ、ストレートに痛快さを押し出している話というわけでもなく、かといってシリアスな話でもなく、社会派のニュアンスを微妙に漂わせつつも、そこに話をもっていくわけではなく、デンゼル・ワシントンと恋人の女(名前を確認するのを忘れた)へとラストを収束させるあたりに好感がもてた。割と一定のテンポで語られるこの映画はバランスが良い。変に特定の場面が強調されるわけじゃなく、流れを流れのまま心地良く体感できる。冒頭、インド風の音楽が流れるところからそれはすでに予告されていたと言える。登場する女はすべて艶かしく撮られ、会話は小気味良く交わされ、ほどよい下品さ(ムスコがビンビンetc)も備えている。まったく本筋とは関係ないけど、特にアルバニア語の演説のエピソードは素晴らしかった。肉体労働系の男の女房であるアルバニア人の女がすごい。忘れてはいけないのが、スパイク・リーの映画においてはジョディ・フォスターさえかなり艶かしく撮られているということだ。デンゼル・ワシントンと淡い光の中で向き合うシーンは、まるで身をよじらせながら詰め寄っているみたいで、そのまま唇を重ねてしまいそうな感じだった。実際にはそんな関係ではないのだが、そう錯覚させるような撮り方をしているのだ。
また、モデルガンによる疑似発砲とゴム弾による発砲しか行われず、まったく人が死なないという点も重要だろう。物語の根幹にある謎はナチスに絡むところがある。別にマクガフィン的なものとして、そんなものをあえて用いる必要はなかったかもしれない。スパイク・リーの映画は表層の心地良さだけで満足できるのだから。しかし、その題材を導入した上で、まったく人を殺さないということを徹底したこと、人質たちの置かれる状況を強制収容所的なものとして描きつつも、子供がプレイしているあまりに残虐なゲームを対置し、強制収容所的なイメージを緩和すること。そういった面もあるにはあるが、あくまで映画のバランスを失わず、持続的な痛快さに満ちた娯楽作品に徹しているのは気持ちが良い。