そういえば…

いまのNHKアーカイブスを見終わって思い出したのだが、ぼくの通う大学の芝居で、少し前に1969年の東大安田講堂陥落を題材にしたものがあった。とあるアパートでだらだらとした日常を生きる数人の現在の若者と、1969年の安田講堂闘争に燃え尽きる当時の若者とを交互に描きながら、最後はその両者が一体化してしまうという話だった。しかしながら、燃え尽きる若者の描き方が感傷的なのと、役者のリアリティーが欠落しているのと、題材の扱い方が浅すぎるという点において、浅はかな芝居でしかないと思った。それでも弱冠20歳ほどの大学生がそのようなテーマを扱うということには敬意を覚えたし、一応お金をとって集客しているのはすごいことだ。
ぼくなんか、とある夜間の映画学校に2年近く通い、いくつかの映画をつくり、いくつかの映画に関わったが、とても外部に見せるようなものではなかったし、自分でも習作として妥協していたのだ。今も映画への情熱は少なからず持ち合わせているが、批評的に観ることはあっても、批評的に映画を作ろうと思ったら、敷居が高すぎて中絶してしまうことしばしばだ。しかし、どうせつくるのならば安易に形式美に陥るのではなく、自分の動機に基づいたつくりたいものを、それにもっとも効果的なやり方でつくりたいと思う。上山さんの本の「公私混同」という問題ではないが、ぼくの私的な動機をどのように公的なものへとつなげていくかは考え続けている。それへのヒントとして、黒沢清の名を無視することはできないだろう。
黒沢清の欲望がどのように映画づくりに反映され、そしてなぜあんなに面白い映画になってしまうのか、ぼくは考え続けたいと思う。それにしても『ドッペルゲンガー』は面白かった。