『奇跡』@ユーロスペース/ドライヤー特集上映

この2週間近くほど勝新太郎の映画にどっぷり浸りすぎていたせいか、カール・ドライヤーの『奇跡』を観ている2時間少々はまるで解離してしまったかのような体験として記憶された。すごい映画であることは間違いないが、そのすごさが日常からとてつもない位置にあるために、ぼくは正直言って2時間少しの上映時間の間ずっと自らの感度をチューニングし続けていたという気分だった。
自らがキリストになりきった男が動き喋ったりするのを観ていると、この映画は恐怖映画なのだという想念が頭を駆けめぐり、静かなトーンで囁かれる台詞と計算された段取りによる淀みのない動きが、催眠術をかけられているみたいにぼくの感覚は異化されてしまい、目の前のスクリーンを観ていることが不安になり、自分が渋谷の映画館にいることを確認するために何度も周囲の観客を見回してしまった。そうすることでなんとか自分が渋谷のユーロスペースという映画館でカール・ドライヤーの『奇跡』という映画を観ていることを実感できた。
真の意味で映画観ることとは、日常からのそういった離脱に他ならないのかもしれない。消費する娯楽としてではなく、逸脱する体験として…大和屋竺が言った意味において『奇跡』は紛れもない恐怖映画だったのだ。