『座頭市 二段斬り』

監督は井上昭。脚本は「座頭市シリーズ」常連の犬塚稔*1である。悪徳親分、悲劇のヒロイン、用心棒…と典型的な座頭市の世界観が描かれるものの、監督井上昭の才気なのか手持ちカメラによる撮影*2が多く見られた。全体的に暗い色調であることに加え、音楽も三隅研次が監督した座頭市シリーズのどれかで使われたと記憶する重いトーンであり、ぼくの好きな「業」の物語を描いてくれているのかと思ったが、期待は裏切られてしまった。
三木のり平の喜劇は多少暴走気味だがそれはそれで面白く、最後まで楽しませてくれるのだが、座頭市の世界の喜劇とは必ず悲劇と結びついていて、それが勝新太郎という存在に結実する、とぼくは考えているゆえに、『座頭市 二段斬り』の演出はアンバランスな印象を受けた。また、先ほど触れた手持ちカメラによる撮影だが、これも感情移入を妨げていて無駄に空回りしている。座頭市の世界の静寂。静から動に転じる時*3にエロティシズムが生まれるのであり、三隅研次田中徳三の演出はそれを的確に捉えている。せっかくの見せ場、例えば市と敵役の用心棒が酒場で対峙するシーン。ここではまずまずの構図で2人の間の緊迫感を伝えてくれるのだが、すぐにカメラが手持ち移動してしまう。余程役者の芝居を信頼していないのだろうかと勘繰ってしまう。編集のテンポが速すぎて、勝新の「間」がうまく生きていないのももったいない。
かなり文句を書いてしまったが、それでもぼくは面白く観たのだった。新文芸座に通い続けてすでに10作目に突入したので、ぼくにも「座頭市を語る」ぐらいの気概が生まれてしまったのだろう。

*1:そういえば先日、犬塚稔の自伝本を立ち読みした。勝新太郎について書いてある部分を読むとかなり悪口で埋められていた。監督作もある大物脚本家にしか書けない凄みのある本だった。本のタイトルは『映画は陽炎の如く』という。

*2:まったく未確認だが『仁義なき戦い』の影響なのだろうか?

*3:めくらの座頭市にとっては「音」や「風」が重要となる。そのきっかけを頼りに目にも留まらぬ「居合い斬り」がなされるのだから。そしてもっともその特徴を的確に演出しているのは第1作『座頭市物語』だったはずだ。