労働者の宴

土曜日の昼、最後の試験を終え、そのまま東京駅でのぞみに搭乗。約3時間。岡山の実家に帰ってきた。前日もろくに寝ていなかったが、時折ちらつく雪に心洗われ、すっかり体調も気分も良くなっていた。岡山県玉野市の風景は相変わらず。原始的な夜の闇は自然への畏れを抱かせる。実家に帰って荷物を置くと、そのまま父親と共に、会社関係の仲間の宴会に参加した。正直言って気乗りしなかったし、50〜60のオッサンばかりに囲まれるのは好きじゃないし、塗装業という仕事柄、関係者はみんな肉体労働者特有のコミュニケーションを存分に発揮しているのである。昔は本当にそれが嫌いだった。
とはいえ、今回はそれなりにオトナになったぼく自身の精神的な変化もあって、あるいは、忌まわしい3日間からの開放も伴って、消極的にではあったが宴会への参加を受け入れたのだった。実家にいるのも3日間だけだし、生まれてから今まで父と対等に飲んだことなどなかったし、それどころか母親を介さないと、父と息子の間にはまともな会話も成立しない関係である。東京に出てそろそろぼくのことも認めているだろうし、一方的でない対等なコミュニケーションができると少し考えもしたのだ。
50人くらい集まった宴会場を埋めるのは9割のオッサンたちと1割は女性もいたけど、おそらくオッサンの妻や会社の事務関係の人だろう。なんとベンチャーズコピーバンドの生演奏付き海鮮料理。ベンチャーズの演奏はなかなか盛り上がって、陽気な人たちは似つかわしくないチークダンスを踊っていた。会場が寒くて、刺身料理は美味しくても冷たいので、ぼくはビールと焼酎を飲んであったまろうとペースを上げ、けっこう良い気分で酔ってしまった。もともと実のある会話などしなても、雰囲気だけで盛り上がっている感じで、ぼくも女将さんに誘われて普段やるはずもないダンスを踊らされてり、今考えるとたいした道化ぶりだった…。酔っ払った父と、初めて映画についての話をしたけれど、意外にちゃんと映画界全体の批評的まなざしを持っていたのには驚いた。どうでもいいようなサスペンスやアクションばかり見ていたから、かつての幼きぼくには、父にとっての映画とは思考停止した労働者の頭への精神安定剤のようなものかと思われたのに。しかし、酔っ払い同士、しかもベンチャーズの大音量が鳴り響く中ではそんなにたくさん言葉を交わすこともなく、オッサンたちの衰えることのない宴会魂に圧倒されっぱなしで、3時間後お開き。
が、2次会はぼくの家からそれほど遠くないスナック。父と、知人の夫婦、他に宴会部長といった感じの存在感の72歳のオッサン、さらにもうひとりオッサン、年配の女性、そしてぼく。スナックにはチェックのスーツを着たきれいなママさんと真っ赤なスーツの若いホステスさん。どうやらぼくの父はいつもこの店に通っているみたいで、ホステスさんとチークダンスしたり…。ここでもがぶがぶ酒飲んで、カラオケ歌って、これは朝まで行くに違いないという勢いだったが、2時半頃、ぼくの父の気まぐれでお開き。宴会好きの人たちはみんな歌がうまかった。ぼくもそのプレッシャーの中で雰囲気を考慮した選曲で、「およしなさいよ〜」と勝新の「座頭市」を歌ったりしたが、件の宴会部長に「おめぇ、目が見えるくせに何歌っとんじゃ!*1」と一蹴されてしまった。
子供の頃はこういった雰囲気の宴会を外から異邦人の目で見ていて、理由なき嫌悪感と不快感に襲われていたが、こうして実際に労働者の宴に参加してみるとそれはそれで楽しいものだな…という感慨を抱いた。しかし、岡山の実家でずっと暮らしていたなら、そんな感想は出てこなかっただろうし、物事には外側からのまなざしと内側からのまなざしが必要不可欠なのだなと実感する体験だった。

*1:別に怒っているわけではないが…岡山弁のニュアンスは出しにくい。『仁義なき戦い』の広島弁に似ている感じを想起していただきたい。