アニメーションの臨界

結論から言えば『イノセンス』は大傑作だった。一般公開のほぼ半月前を控えた今、ぼくにはやがて来るであろう反響が目に見えてくる。「愛」をテーマに謳ったというのは本当だった。しかし…この感動はひとつのものさしで測りきれるものではない。アニメーションの奇跡とでも言うべきものに対峙したのだ。(内容について触れるのは、いろんな人の期待度もあることだし自制したいと思う。けれども、ぼくが映画のことについて書き始めると無意識にもネタバレ的な部分が出てしまうという事実に先日気づかされたので、『イノセンス』に並々ならぬ期待を寄せている人は、これ以下を読むことは避けて欲しい。あるいは寛大な目で適当に読み流して欲しい。ぼくはぼくの感動をここに書き残したいだけなので。)
というところまで書いて、バイトに行く時間になったので、以下『イノセンス』については、今日の夜にでも書くと思う。
(バイト、終わる。)
まるで『G.R.M』*1を思わせる圧倒的な飛行シーンで始まるオープニング。並みの空撮なんかより迫力がみなぎっている。やがてバトーが事件現場に現れ、一見、犯罪映画の定石を踏んだオーソドックスな演出なのだが、ここまでの細部を見るだけで『イノセンス』のすごさが伝わってくる。フロントガラス越しに映る雑多な街と人々。揺れる車体。取るに足らない事象の音。そして映画の前半を覆う色彩の暗さ。はかない人形の自爆よりも先に無言で銃を撃つバトーの姿までのシークエンスが、色彩の暗さと相俟って、決定的な欠落感を喚起させる。もちろん、草薙素子の不在である。
明らかに『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』の続編であって、バトーや公安9課を、ひいては映画全体を覆う影を体感するには、前作を無視することはできないだろう。また、『攻殻機動隊 STAND ALONE CONPLEX』もまったく無関係ではない。現実と仮想現実が無限に入り乱れたキムの館の場面は、『STAND ALONE COMPLEX』のいくつかのエピソードを思い出させ、そしてその類似さえも、やはり草薙素子の不在を呼び込んでしまうのだ。この映画の様々な細部が、草薙素子の不在を指し示していて、「攻殻シリーズ」=草薙素子の存在で魅せられてきた者は、バトーの背負う影に感情移入してしまわざるを得ない。
例えば、バトーが飼っているガブリエル*2との生活を丹念に描写していることは重要だ。トークショーで押井自身が言っていたように『イノセンス』という映画は、バセットハウンドの生活音の再現にかけては世界一と誇れるほど、緻密に録音されているらしい。足音、食事、鼻息、耳の音…すべて生々しく再現されている。バトーとガブリエルの描写がけっこう長めに描かれている場面を観ると、緻密で具体的な描写にもかかわらず、逆説的にそれが現実感を喪失しているように感じられる。マジックリアリズム的に*3。バトーはまるで幽霊なのだ*4。実際に、脳の一部分を残して他はサイボーグであるバトー。そんなバトーが「ゴースト」を信じる倒錯にぼくは心うたれてしまう。
種田陽平が参加しているからなのか、後半に飛び出す祭り的な祝祭空間に直面して、それまでの暗さとの対照にパースペクティヴを失いかけ、そして件のキムの館の仮想現実でぼくらはトグサのように騙され…いや、ここには大きな仕掛けがあったのだ。前作を丹念に観ている人だけがバトーと同様に「守護天使」に守られ、トグサのように現実(あるいは仮想現実)へのパースペクティヴを失わなくて済むのである。
そして、ぼくは、決定的に勘違いしていたことを知らされる。草薙素子は不在だったのではなくて、「広大なネット」に偏在していたのである。縦の動き*5で登場する「人形」は紛れもなく草薙素子なのである。ぼくが涙してしまったのもその瞬間だった*6。「守護天使」は降臨する。
ネットに偏在することを選んだ草薙素子は、バトーの問いに答えて、少なくとも葛藤はないと言うが、実際はどうだろう?バトーがネットにアクセスした時に必ず草薙素子がいるとしたら、それはどんな愛なのだろうか?それにバトーが囚われの子供に対して怒鳴りつける台詞。人間と人形(と動物)の差とは?「ゴースト」の在/不在か?これらに答えは与えられないだろう。答えを与えるということは超越性に向かってゆくということだ。腑に落ちる説明は回避され、『イノセンス』はあくまでひとつの(愛玩用ロボットの暴走という小さな)事件を描いたに過ぎない。そして、そこに揺るぎなく存在したバトーと草薙素子の関係を描いたに過ぎない。それを愛と呼ぶか、人間とそれ以外のものの共生と呼ぶか…あまり重要なことではないだろう。ぼくは、そんな「哲学」よりも『イノセンス』という映画に感動したのだ。

*1:ぼくは数年前の東京国際映画祭押井守シンポジウムでその断片を観た。

*2:ご存知、押井守自身の愛犬でもある。

*3:孫引きで申し訳ないが、高橋源一郎はロリ・チェンバレンマジックリアリズムの定義をまとめて、「その対象となっているものに、実際そうである以上にくっきりと焦点を合わせる」ことと書いている。

*4:この辺りは『ブラウン・バニー』のヴィンセント・ギャロが幽霊的だったことと併せてみると面白いかもしれない。ギャロも確かに、生活の具体的な描写を丹念に描いていた。

*5:攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』の映像特典で、神山健治がインタビューに答えている。すなわち、押井守曰わく、草薙素子は「縦の動き」を体現する存在なのだ。

*6:宮台真司の言う「縦の力」とはまったく別だと思うけど、「縦の動き」に感染するということは何かつながりがあるかもしれない。