ここにも無業の罠が…

久しぶりに大学に行くとぼくのネームプレートが張り出されていて嫌な感じがしたけど、実家の住所変更届を出し忘れていただけでほっとした。
図書館で最近読んでいなかった文芸誌を読みながら居眠り。ちょうど今ぐらいは人も少なくてソファーが空いている。あと1ヶ月もすれば蛆のように湧いてくる新入生が…そのまた1ヶ月後には半分以下に減っているだろう。
5時に近くで待ち合わせ。
昨年までぼくが通っていた夜間の学校のTA(ティーチング・アシスタント)と会う。なぜか昨日の晩電話がかかってきて、ロシア語を学びたいからそれに関して教えて欲しいと言う。ぼくは何も教えられませんよ、と言ったけど結局こうして会うことになっていた。まあ、ほとんど学校時代の昔話と近況について。ロシア語については少々。ぼくだって今年こそ、という意気込みなのだ。
しかし、TAだった人も結局フリーターとそんなに変わるもんじゃない、と思わされた。TAというと聞こえはいいかもしれないが、ただのつてで採用されているだけだし給料も雀の涙らしい。メリットは映画や写真の機材を自由に借りられるということ。彼女(30歳を目前にした女性なのだ)の話を聴くと、なんとTAに成る前は「請負」をやっていたらしい。そして今の状況を聴いても、典型的な「無業」者そのものなのだ。某美術大学を出た彼女はずっと自主制作映画の連作も作っていて、今も撮っているというけど、それにロシア語なんかして大丈夫なのだろうか…と心配になった。
映画の話になるとペドロ・コスタを押していて、ぼくもそろそろ観に行きたいなと思った。(どうもバイトの疲労が蓄積していて行動力が衰えている。)そういえば図書館で読んだ『文學界』では、阿部和重が『ヴァンダの部屋』と『エレファント』を「反復と差異」というキーワードと共に読み解いていた。
本屋で『'70s 寺山修司』を購入する。冒頭の宮台真司の解説は以前サイトでアップされていたやつか…。
まず十分な睡眠から始めよう。