スポーツの未来

tido2004-04-04

最近ろくに日記を更新できないので、時間表示機能を使わないことにした。大学開始までのあと1週間、できれば気楽に過ごしたいところなのにそうもいかなくて、せめて崔洋一特集だけでもまっとうしたいものだ。
ちょっと前に本屋に行くと、スポーツ関係の本がいくつか出ていて、蓮實重彦の『スポーツ批評宣言 あるいは運動の擁護』だとか糸井重里によるイチローへのインタヴュー本だとかが並んでいた。そんな中の1冊として林信吾と葛岡智恭の『野球型VS.サッカー型』というのがあって面白く読んだ。
ぼくは高校まで野球をやっていて、大学に入ってからも社会人野球に参加していたりしたので、もちろん根っからの野球派である。が、観戦の方は、だいたいベイスターズの優勝の直後ぐらいから、ほとんど興味を失っていた。一昨年ぐらいまでは年に何度か球場に通っていたが、それも知人に誘われたとか、偶然チケットを貰ったとか、そんな理由からだった。
だいたいベイスターズの優勝の頃は、CSやBSや地方のテレビ局が巨人戦以外の試合を中心に放映するようになっていて、それにメジャーリーグの放映も加わって、1日中をテレビ観戦と自主トレーニングに費やしていた時期さえあったというのに、なぜ興味を失ったんだろうか…とそんなことをきちんと考えることもなくうやむやに過ごしてきた。
で、『野球型VS.サッカー型』を読むと、自明だったがゆえに、誰も声を大にして主張しなかったスポーツ界の欺瞞がきちんと考察されていて、ぼく自身の疑問もある程度氷解したような気になったのである。全体の主張は、「野球型」=日本独自の企業中心型スポーツ運営と「サッカー型」=世界的視野の市民中心型スポーツ運営をそれぞれ考察し、時代は「サッカー型」であるべきだ、というものだ。もちろん、「野球型」は野球だけに限るものではなくて、例えば、メジャーリーグの運営というのは、「サッカー型」に近い部分も多い。
つまりは、あらゆるスポーツにおいて(ぼくが思ったのは、スポーツだけに留まらない問題だということでもあるが)、読売=渡辺主義的なスポーツなど誰も支持しなくなっていき、市民や地域自体がスポーツ文化にコミットしていくことこそ、スポーツの生き残る道なのだ。筆者はJリーグの成功などを具体的に考察することで、説得力をもって主張する。
高校時代、ぼくは1年の時に学校の野球部を拒否し、数人の仲間と地元の草野球をすることを選んだ。ぼくの高校には普通科情報科と体育科があって、ぼくは普通科で、野球部をやめた仲間も普通科だった。体育科というのはみんなが坊主頭を義務付けられ、普通科の人間の弁当を盗むような奴らばかりで、あからさまに対立していた。体育科の頭の悪い教師もそれに加担していて、そんな中で野球をやることは不毛だし、何の楽しみもないと思ったのだ。1年の時に結成した草野球部*1は平日の早朝に地元の消防団とか不良グループとかオッサンたちと試合を重ね、最初の大会こそ1回戦敗退だったものの、3年の時は優勝するまでに成長した。最初は高校生の草野球グループということに注目され、地元の新聞に取材されたりもしたのが記憶に残っている。
そういった経験を思い起こせば、自分たちで金を払って、練習する球場を確保し、ユニフォームを作って、多くの地元の人たちと交流するのは、野球部でやってきたことよりも楽しいということだった。しかも、野球部時代より確実に練習に励んだし、戦略や技術の研究にも熱心だった。様々な筋力トレーニング法*2を取り入れ、週2回は近くのジムに通った。
そんな時に地元の名前を冠した横浜ベイスターズの優勝に沸いたものだから、徐々に日本独自の「野球型」スポーツ文化から遠ざかっていったのは、ごく自然なことだったかもしれない、と今は思う。1度そういった楽しさを知った後では、渡辺主義の欺瞞を分かっていながら、偏った報道を続けるマスコミに共感できようはずもない。
ぼくはサッカーにまったくと言っていいほど興味をもってこなかった。それは子供の頃に親から刷り込まれた「野球型」スポーツ観*3によるものが大きく、それが周囲を含めて自然だったため、サッカーへの無関心はそういった刷り込みの反映でもあった。しかし『野球型VS.サッカー型』を読んで思ったのは、「サッカー型」の方が気分的にしっくりくるということだった。今となっては、数年前に先輩に連れて行ってもらった日本代表対トルコ(だった気がする)の試合を半ば興味なく観てしまったことを後悔するのみである。

*1:この時のチームの名前が「ユニオン」だったというのは象徴的だ。帽子に陣取った「U」の文字はダサかったが…。

*2:インナーマッスルを鍛えれば、肩が強くなるというのを知って毎日鍛えたり、稲尾のスライダーの秘訣を知って、人差し指を伸ばそうと、いつも引っ張り続けていた。

*3:やはりぼくの父は巨人ファンである。