回避し難い「女性」性

ジェーン・カンピオン監督&脚本、メグ・ライアン主演の『イン・ザ・カット』を観た。
スキャンダラスなメグ・ライアンのヌード*1や、サイコホラーっぽいサスペンスの持続感よりも、印象として残るのは、絶えず揺れ動くカメラであり、対象を部分的にしか焦点化しない不確定なレンズの絞りであり、俳優の動作を細切れにするカッティングである。この特徴ある撮影の方法によって、スクリーン上はまるで断片的な光の渦のように現れ、理性よりも感覚に強く迫ってくるようだった。
冒頭、BGMに「ケ・セラ・セラ」が流れる中、花々の咲き乱れる庭園に佇むジェニファー・ジェイソン・リーのアップ、ピントの不確定な画面に降り注ぐ花びらの雪。鮮やかな色が迫ってくる様子は、この映画を言葉で捉えるのを許さないかのようだ。
メグ・ライアンが演じる大学教師は文学を専門としていて、普段から言葉に敏感である。地下鉄の車内広告のポエムを見て、あるいは、生徒の黒人男性からスラングを聞き出し、メモ帳に書き留める。彼女の部屋にはそういったメモの類が壁一面に貼り付けられており、映画が色の渦を見せる反面、彼女は美しい言葉で自己を満たそうとするかのようだ。
彼女と仲の良い妹を演じるジェニファー・ジェイソン・リーは肉感的で、傍目には対照的に見える2人だが、実際はメグの方も性的な内面を抱えている。しかし、言葉の世界に留まる彼女は、ファンタジーとしての性に満足していて、現実に行動しないと気がすまない妹ジェニファーとその点で異なっているのである。
一見マッチョな刑事と出会うメグはファンタジーの世界から脱却する。また、その刑事を通して、その時起こっていたバラバラ殺人事件に接近してゆく。身の危険や自分の妹に及んだ悲劇。ファンタジーの世界に留まることはできない。執拗にメグ・ライアンの顔のアップが画面を支配し、前半の美しいが虚構的な色彩は影を潜める。生々しい殺人現場に飛び散る鮮血の反復。結末には、赤いドレスを着たメグ・ライアン、赤く光る灯台、男が飲む赤いワイン、やがて赤い返り血を浴びたメグ*2は、自分をファンタジーから連れ出した男の横にそっと横たわる。終。
ビデオで映画を観るしかなかった中学、高校時代に、ぼくが一番熱中した同時代の女優はこのメグ・ライアンジェニファー・ジェイソン・リーだったので、とにかく感慨深い映画だった。ところで、最近のハリウッド映画で、女性を描いた映画の中でも、方法論的にここまで感覚に訴えかける映像というのは観たことがない。そういう意味でも、女性監督ジェーン・カンピオンの新作に「女性的」という言葉を使うことはなかなか回避し難く、それを避けるならば、何か別の言葉を生み出さなければと…いや、言葉で評するということ自体が、この映画の特質を捻じ曲げてしまうことにつながってしまうのではないだろうか。

*1:一応は『プレディシオの男たち』や『ドアーズ』でも脱いでいたけれど…。

*2:まるでキャリーのように…。