女はやはり死を直視する

tido2004-04-05

ビデオで長谷部安春監督『野良猫ロック セックス・ハンター』を観る。脚本に大和屋竺と藤井鷹史。梶芽衣子藤竜也というシリーズ常連に安岡力也が絡む。
野良猫ロック』シリーズを今まで観てきて、アメリカへの複雑な気分が背景にあるというのは感じられるが、この作品ほどそれがあからさまなものはないだろう。藤竜也演じるバロンは好きな女マコ(梶芽衣子)を前にしてもセックスできないインポなのだが、その反面、日本女を守るために街の混血たちを駆逐しようとしているのだ。『ワイルド・ジャンボ』や『マシン・アニマル』で好青年を演じた藤竜也が狂った調子を見せる様はなかなか見所だ。
『マシン・アニマル』は同じ長谷部安春監督作品でも安っぽい感じがするが、『セックス・ハンター』は傑作だ。冒頭、野良猫女たちが仲間内でいざこざを起こし、リーダー格の梶芽衣子を相手に女同士の喧嘩が勃発する。暗闇の中、懐中電灯とナイフを持った女2人が互いの肌を切り裂く。邪魔が入る。傷を負った女を車に乗せて手当てに連れて行くように仲間たちに告げる梶芽衣子。ひとり地面に仰向けになる。しだいに聞こえ始める男の歌声。ブルース。混血を演じる安岡力也だ。出会った2人が交わす他愛ない会話が良い。このくだりは大和屋的と言っていいだろう。『ルパン三世』の「魔術師と呼ばれた男」の冒頭のくだりを彷彿とさせる。
安岡力也は幼い頃に生き別れた妹を探して街にやってきたのだった。しかし、頼りは「めぐみ」という名前だけだから、なかなか見つからない。一方で、藤竜也率いる暴走集団「イーグルス」が混血狩りを始める。街の混血児たちは理不尽に暴行され、街を追いやられる。突き抜けるような青空の中で、執拗な暴行を楽しむ描写は圧巻だ。さすがは暴力モノを得意とする長谷部安春の演出。加えて、マリファナか何かのドラッグ描写もある。ロウソクが立ち並んだ暗闇の一室で、男と女がまったりする様は、控えめと言えば控えめな演出ではあるが、『マシン・アニマル』のドラッグ描写(LSDだったか?)の安易さと比べれば雲泥の差。『マシン・アニマル』の場合は、主観で幻覚を描いているのだが、単に血糊をぶっかけただけの安っぽい代物だった。
他にもいろいろ触れたい点はあるが、話は結末へ飛ぶ。すごい。『セックス・ハンター』は、ぼくの考えていた70年代的イメージを圧倒するものだった。見渡す限りの平原に佇む数階建ての小屋に、ライフル銃を持って立てこもる安岡力也と梶芽衣子。やがてそこに現れるのは藤竜也率いる「イーグルス」。圧倒的な距離を隔てて撃ち合う両者。もちろん、多勢に無勢は自明だった。「イーグルス」の無数の銃弾に為す術のない2人。安岡力也を想った梶芽衣子はもうやめてと相手に訴え、インポとはいえ自分の愛する女の呼びかけに反応する藤竜也。仲間の制止を耳に入れず単身乗り込んできた藤竜也と向かい合った安岡力也は、距離のない激しい撃ち合いの末、互いに果てる。いや、虫の息で立ち上がったのは安岡力也だったが、小屋の外から「めぐみ」からの呼びかけが…その「めぐみ」は安岡の妹であることを認めなかった野良猫集団のメンバーのひとりなのだが、「イーグルス」に集団レイプされ、それを知った安岡は「イーグルス」との対決を決心して、件の篭城へと続くのだった。だから、この場面での呼びかけは、安岡の死の覚悟に際して、「めぐみ」は安岡を兄と認めたということだ。
虫の息で小屋の外に飛び出た安岡力也が向かってくる「めぐみ」に言う。「おまえはおれの妹なんかじゃねぇー!」そしてライフルで女の胸を撃ち抜く。やはり梶芽衣子がその瞬間を直視している。カメラは梶のバストショットを捉え、黒いアコーハットを深々と顔を覆うところで映画は終わる。
とにかくバランスが良くてカッコイイ。梶芽衣子にしたって、野良猫集団のリーダーとして完璧に振舞いながらも、女として藤竜也に抱かれることを望み、「あたしはズベ公さ」とさらりと言ったり、相手の策略にはめられた時に激情を内に秘めるという梶芽衣子らしさではなく、バイクにまたがりつつ「ちっきしょう!」と思い切り叫んだりするのだ。細かな事情は窺い知れないが、やはり大和屋竺と藤井鷹史の脚本が大きいんじゃないかと想像する。同監督による同シリーズでこうまで違うのだから。昔、とあるシンポジウムで荒井晴彦が言った言葉を思い出した。優れた脚本からは優れた映画もダメな映画も生まれるが、脚本がダメだと優れた映画は生まれない。つまり、脚本は映画の前提となるもので、特にプログラムピクチュアの量産時代にはそういった傾向は強かったのではないかと推測できる。