ハプニングは起こらなかった?

tido2004-04-24

東京都現代美術館の「YES オノ・ヨーコ」展に行ってきた。今までまともにオノ・ヨーコ作品を知らなかっただけに、それなりに楽しめる内容だったけれど、初期のインストラクションや近年の作品はともかく、ハプニングやパフォーマンス的な要素の強い大部分の作品は、まじまじと美術館で観るものであるはずがなく、まるで「お勉強」のようで退屈でしかない。かろうじて、オノ・ヨーコからの電話がかかってくる(かもしれない)という白い電話にハプニング性が仕掛けられているわけだが、展示映像にあった、座ったオノ・ヨーコ自身の着ている服を次々訪れる人々が切り裂いていくというパフォーマンスと比べると、ぼくが訪れた現在の美術館の空気は弛緩しすぎていた。現在の日常に裂け目を刻むのはよほど困難らしい。
行き過ぎた美術界の商業主義を逆手にとって反転させていくようなオノ・ヨーコの手法にはとても共感できるのだが、時代を隔てて展示されたものは商業主義の枠組みに収められ、アクチュアリティなど骨抜きにされてしまっているのだった。と考えると、ぼく自身が全共闘世代やそれに近い世代の思考の枠組みを演じてしまっているようでおかしな感じがする。むしろ、ほどよく弛緩した雰囲気で予備知識なしにオノ・ヨーコを楽しんだり、あるいは美術史的な「お勉強」として鑑賞したりするほうが健全なのかもしれない。
そんなことをつらつらと考えながら、そういえば足立正生の『映画/革命』で、オノ・ヨーコがみんなを家に呼んでカレーを作って食べるというのが当時のハプニングとして紹介されていたのを思い出した。そういう時代だったのだろう…と思考停止するのではなく、形にすることよりもその過程が大切だということ、例えば、オノ・ヨーコがインストラクションでやった「絵画」の過程そのもの、そういうものに不毛さを抱かず、豊穣さを見出す感性を育みたいと強く思った。