殉教者たち

ゴールデンウィークといえば「みどりの日」から始まるはずなのに、今日は大学の授業が普通に行われているらしく、確かに通常よりは少なかったものの、まだ4月ということもあって、夜勤明けでいらつきながらも律儀に出席した。
「ロシア中世文学」の講義において、「聖母の地獄めぐり」と「ボリスとグレープの物語」が取り上げられていて、ロシアや東欧における殉教精神について興味をもつ。キーエフ・ロシアでキリスト教が国教となるのは10世紀も終わりに近い988年だった。もともと文字を持たなかったロシアの民に文学なるものが浸透してゆくのは、キリスト教の導入と共にやってくる写本や様々な文書のためである。土着のフォークロアがそれにハイブリッドされてゆくわけだ。
そういった発祥のせいか、例えば『カラマーゾフの兄弟』のフョードルなどでさえも『殉教者列伝』に言及していて、ロシアで初めて聖者になったと言われるボリスとグレープ、それにまつわる精神性は、本当にロシア的な根源であるように思える。そういえば『カラマーゾフの兄弟』では、三兄弟の真ん中に位置するイワンが「愚劣になればなるほどロシア的な表現となる」というようなことを口走る。これもある意味「殉教者精神」に関係していると思われる。
この講義を聴いていてすぐにアトム・エゴヤンが監督した『アララトの聖母』を想起したが、それよりも今思い当たる映画といえばメル・ギブソンの『パッション』だろう。どんな映画になるやら…(この日記を書いているのはすでに5月6日であり、昨夜=5月5日には『パッション』を観た。5日の日記には『パッション』が触れられることだろう)