文明の…

午前中大学に行くと休講だった。昼は銀座で映画を観る。
マノエル・ド・オリヴェイラ監督『永遠の語らい』は傑作だった。ゆったりとしたテンポで反復のリズムを刻む前半のヨーロッパ文明の旅。歴史学者の母と娘の遍歴は、数々の文明の衝突をたどりつつ、優雅に描かれる。時には観光ツアーのガイドの説明に横から加わって説明を聴き、当地の人々とも出会い、しっかりと耳を傾ける。まるで、聴くことが唯一可能なことであるかのように。ポルトガル語しか理解しない娘でさえも、母の横でしっかりと耳を傾けてじっとしているのである。そして、終盤は、数ヶ国語が入り乱れながらも自然なコミュニケーション空間を作り出している客船の会食で、聴くことから話すことへと重点が移る。ジョン・マルコヴィッチが演じた客船の船長が言ったように「告白タイム」が演じられるのである。3人の女たちはそれぞれの女性的な部分を惜しみなく告白する。彼女らは社会で華やかな活躍をする多彩な人物たちだが、男や子供に恵まれているわけではなく、そこに複雑な思いがあるのだろう。やがてその席に加えられる件の母娘を見て、その複雑な思いは表情に顕在化するだろう。そして、女たちの中のひとりであるギリシア人歌手がいつ終わるとも分からない悠久の歌を披露する船上が「戦場」となる時、あっとういう間の劇的展開に当惑しながらも、まんまとやられてしまったことに気づく。女たちの輝ける知性による異文化交流なんぞひとつの爆弾で吹き飛んでしまう。同様に、昼の銀座で束の間のヨーロッパへの旅に浸っていた我々は、ただならぬ衝撃によって覚醒を促されるのだった。ひどく気分が悪いに違いないが、その衝撃こそ現実への映画からの最大限の抵抗だったのではないか。